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第一章 世界自然遺産の島「おがさわら」

三 平和を問いかける戦跡 2 観光協会が整備

現在、母島では、そうした戦跡に「小笠原母島観光協会」の手によって、一部ですが案内板の設置などにより、遊歩道的な整備が図られつつあります。

しかし、総じて戦跡の大部分は、緑豊かな木々に覆われていることから、一般にはその全体像を目にすることは出来ないのが現状で、特に、父島では何ら手を付けられることなく、当時のまま、静かに訪問者を待っています。これらの戦跡は、古いもので造られてから一〇〇年近くの歳月を経ており、次のような状況にあります。

ⅰ 一部は、危険な場所・状態にあります。塹壕の多くは、素掘りの状態のままで途中で塞がっていたり、断崖絶壁の上にあったり、崩落・酸欠の危険があります。

ⅱ 一部は、国・都有地、民地、特に農地の中にあります。戦後の開墾によって、現在ではその農地の中を通行しなければ塹壕・大砲に辿り着けない所もあります。場所によっては、農地の真ん中に残置されている所もあったりします。当然、調査などのための駐車場・遊歩道などは整備されていません。

ⅲ 当時、軍務に就かれた方や、そのご遺族の方々への配慮が必要不可欠です。私は、第一回目の赴任の際に庶務担当の立場もあって、島案内で来島者の方を戦跡にご案内した際に、ご遺族が戦争で亡くなられていたということを知らず、その方が悲しい過去を想い出されたのか、沈痛な面持ちの姿を目の当たりにして、そして「こうしたものは見たくないんだよな!」と言われた時のことが、今でも立ち姿など想い出されてきます。

戦跡は、くれぐれも興味本位の見せ物にしないなど、扱い方には十分な留意が必要です。ご案内する場合など、これらの諸課題を解決した箇所、十分な配慮のもとエコツーリズムの一環として、後世に史実を伝えるスポットとして紹介していくことが考えられます。

また、その後の経年劣化により、腐朽が激しくレプリカをという話もあったりしますが、なるべく手を加えない自然のままの姿で、後世に伝えていきたいものです。

現在、小笠原の自然は、極めて安定しています。戦跡は、大自然には相容れない異質なものと思われがちですが、それらは小笠原の歴史の語り部となりつつあります。

「さあ! どうぞゆっくりとご覧になって下さい!」

と、自らの存在を訪問者に問いかけているかのように想えるのです。