序節 日本書紀の編年のズレ
第1節 6~7世紀の日本書紀編年の捏造表
顓頊暦による手計算
これら修正前の朔の干支指数によれば、正月中と2月朔の干支番号が一致するので、正月朔と2月朔の間に正月中が入らない。故に後の太陰太陽暦では、正月が閏12月になるところであるが、顓頊暦の場合は正月のままとして、歳終置閏法により後9月が加えられる。
修正後の干支指数で比較すると正月中は正月に入るが、2月中と3月の朔干支が一致するため、後の置閏法では2月が閏正月になる。閏年になることに変わりはない(なお、述べた通り、顓頊暦の場合は、歳終置閏法のため、節月中気と暦月の月数が、後の暦法での閏月相当月以降、1か月ずれるので注意)。
ともあれ、こうして、紀元前135年10月朔から紀元前134年の後9月朔までの干支指数が求められた。これが最初の表の暦書干支欄の右側に書きこんだ「顓頊暦」の朔干支指数である。
補論 2 干支紀年法と超辰
『説文解字』十下の赤条によれば「赤は、南方の色なり。大に従ひ、火に従ふ」とあって、赤は大と火を組み合わせた文字とされている。『字統』の赤条には、赤は人が火の上にある形で、火によって人の穢(けがれ)を払う古儀があったかとして「赤が修祓の儀礼であり、赦免のためのものであることを示している」とある。
説文が赤を大と火に解字するのは、中国で大火とはさそり座のα星であって、夏の夕方、南方に見える赤色の大星であることが念頭に置かれていたのではないかと考えられる。
新城新蔵氏著『こよみと天文』(弘文堂書房 昭和3年)によれば、古代中国では、夕方この星、大火が南中する時期を夏至(5 月)の季節とし、この星を基準として季節を正していたという(同書p.27)。この星は龍の形に見える星座(西洋ではさそりの形に見立てている)の胸の所に当たるので、「心」とも称した(p.28)。
新城氏は、辰を龍(たつ)に充てるのはこのためであろうという。