第二章 飛騨の中の白川郷

これで、いよいよ長期取材が出来ることになった。篠原は、白川郷に暮らすならば絶対に合掌造りの家に住もうと思った。この時まで篠原は『売らない、貸さない、壊さない』という住民憲章を知らなかった。頼めば、一軒くらい貸してくれると思っていた。ところが村役場で聞いてみると、

「ダメだよ、合掌は誰にも貸せないよ」

にべもなく断られた。新聞記者のくせに、世界遺産集落の住民憲章も知らないのか、とあきれられた。それでは、合掌以外の普通の家で空いている家はないか、と食い下がったが、誰も話を聞いてくれなかった。篠原は途方に暮れて、半ばあきらめかけ、高山に戻った夜のことだった。深夜、なんと酔っ払った河田家の主人から電話があったのだった。

「村に住みたいんやって? 家ならあるよ。離れ、ちゅうか二つある家の一つやけど、泊まってもええぞ。合掌や。小せえけどな」

あとで聞いたら、篠原があっちこっちで頼み続けていたのに結局借りられず、ガッカリしていたのが、村中のウワサになっていたらしかった。

「あの何か書くと言っとった御人ごじん、大儀でござったのう、がっかりしといでるやろう。泣きべそかいとったで」

それを河田家の奥さんの瑞江が聞いて、前に河田家の公開家屋を見学したあと、仏間に居座ってお茶を何杯も飲んだ新聞記者を思い出し、夫の裕也に頼んでくれたのだった。

「なんや、合掌にもの凄く興味がある御人ごじんやてカカの瑞江が言っとったでな。あんたがどうしても住みたいなら、住んでもええ」

「本当ですか。ありがとうございます。住みたいです」

篠原は携帯を握りしめて姿は見えない河田に向かって最敬礼していた。村の中に住めるだけでもありがたいのに、合掌に住めるなんて夢のような話だった。