第二章 飛騨の中の白川郷
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篠原は、河田家を出たあと、また村の中を歩き回った。見れば見るほど豪華な迫力ある建築群で、やはり貧乏な村がこんな家々を建てられるわけがないと思うのだった。
しかし篠原自身、来る前に少し白川郷関係の本を読んだのだが、どの本にも白川郷が昔は裕福な村だったとは書いてなかった。むしろその逆で、明治時代の白川郷の生活を書いた小説などには、稗の実に稗糠をまぜた糠めしが常食だったと書いてあった。
さらに大家族制度といって、直系だけでなく傍系も含めた何十人もの家族が一緒に住んでいて、それは貧しいから長男しか結婚出来ず、あとの次男、三男は他家の娘の家に通い、逆に娘たちは他家の男たちを通わせるという、いわゆる妻問婚をしていたという話もあった。
篠原は、貧しいから仕方なくみんな一緒に住んでいたのか、と漠然と思っていた。が、それも考えると変な話だった。本当に貧しかったら、大家族は維持出来ないはずだった。口べらしや間引きで家族の人数が調節されたり、貧しい農村から身売りされた娘の話など明治になってもよく聞く話であったはずだ。白川郷は、貧しいから大家族であったのではなく、食べていけたから大家族であったのかもしれない。
しかし、何十人というのはいくらなんでも多過ぎる。食べていけたなら、なぜもっと少人数で分家しあって暮らさなかったのか。なぜ一つの家の中で、みんなで暮らしていたのか。なぜだ? 篠原はどうしてもこの謎を解きたいと思った。それを書けばけっこう面白い連載になるのではないか。
篠原は、なぜ豪華銘木造りの巨大和製ビルディング群が、米も出来ない秘境の山の村に建てられたかという『世界遺産白川郷の経済基盤は何だったのか』を書いてみようと思った。