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しかし『売らない、貸さない、壊さない』という住民憲章があるのだった。合掌造りの家は貸してもらうわけにはいかない。篠原が家賃はどうしたらいいか河田に尋ねると
「なんもいらんいらん」
タダで住んだらいいと言うのだった。篠原はお金以外の何かを贈って埋め合わせしようかと悩んだが、河田は、
「せやなあ、なら、篠原君は宴会の時、いろいろ一緒にやわって(準備して)くれたらええ」
ということになった。というのも、この小さな合掌はいわば河田のプライベートルームで、河田と河田の友達との宴会によく使っているということだった。篠原はお安い御用だとばかりに簡単に、
「はい、任せてください。少しくらいなら、料理も出来ます」
引き受けたのだった。
しかし河田は村会議員でもあり、建設会社の社長兼大工でもあり、荻町区の区長でもあり、公開合掌家屋の主人兼囲炉裏係でもあった。つまり村中が知り合いである河田の宴会は、ほとんど毎晩、開かれていた。毎回違う顔ぶれの飲み友達ではあったが、河田が村会議員として出張でもしない限りは、ほぼ毎晩だった。
「ま、あがれや」
言いながら河田は友達を引き連れて部屋に入ってきた。篠原のプライバシーはまったくなく、この合掌にはカギも付いてなかったから、河田はいつも気が付くと部屋の真ん中に立っていた。そしてすぐに、
「コップ、五つ、いや六つ」
篠原に命じて用意させると宴会が始まり、当然のように篠原もその端っこで一緒に飲むことになった。こうして篠原は毎晩の宴会に備えて、夕方から酒の肴を用意して河田とその飲み仲間を待つことになった。
ある日の宴会の様子だが、篠原はそろそろ河田が来る頃かと思いながら、せっせと料理を作っていた。得意料理の一つ、ニラ肉団子の甘酢あんかけ、のニラを刻んでいたら、ドヤドヤと河田とお客が入ってきた。すでにどこかでお祝い事があり、お酒が入っていた。
長年、村会議員をやっている下原先生、太衛門という隣の鳩谷区の区長、太田という河田の親友で郵便局長、野山という学校の先生。まず河田が篠原をみんなに紹介した。
「この御人はな、篠原准一さん。三十一才、毎朝新聞の記者や。この家に泊まって村についての長期の取材をするんやと」
みんな、そんなことは知っているという感じで、
「や、消火訓練の取材で会ったもんな」
「河田はええ人やで。こうしてタダであんたの面倒みて。河田はそういう男なんやさ」
「新聞記者なんてもんはな、どうもなあ、気に入らんのやさ」
などとそれぞれ勝手に酔っ払いながら、囲炉裏の周りに座り始める。
この合掌造りの間取りだが、玄関から右にシャワー付きの広いバス、温水洗浄便座付きのトイレ、左に囲炉裏があり居間にしている十二畳の和室、その居間の隣に寝室、その奥に八畳ほどのダイニングキッチン。さらに使っていない二階三階部分。合掌造りは外見の景観は変えてはならないが、内装は変えられるので、昔ながらの囲炉裏は残してあるが、あとは設備が整った広くて快適な家だった。河田は、
「囲炉裏も焚いていいよ。焚いた方が茅葺き屋根の持ちがいいんやさ」
と言ったが、篠原は火事が恐くて実際には使っていない。
その焚いていない囲炉裏の周りにみんなで座って飲む。台所から作りたての酒の肴を持ってきて、並べる。河田が深皿に買ってきたモツの煮込みをドボドボと入れる。宴会が始まるのだ。篠原を入れた六人、焼酎とビールと日本酒を飲み始めた。