それから数日後のことだった。
「あの古手屋のことだが……」
重綱さまはそこで言葉を切ってわたくしを見た。わたくしはたちまち頭から血が下がるような心地で、重綱さまを見つめた。
「やはり、あの上方のあきんどは……、おこうの親戚筋と聞いていましたが、間者でしたか?」
「お方には言っておいた方がいいと思うが、あそこは忍びのつなぎの場所だ。じつはこちら側で働く。戦では嘘話を流す……。城の者を近づかせぬようにいたせ」
くだんのあきんどは他人の話をじっくり聞くというひとではない、とおこうは言っていた。男には珍しくおしゃべり好きで、女たちの土地の言葉にも臆せずひるまず、当意即妙に応じて笑いが絶えない楽しいひと時であったらしい。おこうから話を聞く限りでは、とても善いひとに思える。
「お方よ、みんな善いひとだよ。間者とておつとめを果たしているだけじゃ」
そう言えば大坂の船場という所と堺の街が、こたびの戦で焼け野原になってしまったとか。その火を放ったのは東軍とばかり思っていたが、おこうが聞き及んだところでは、秀頼さまが命じたことだったというのだ。これもお役目で流した嘘ばなしだったのか。
「いや、それは真のことだ。大坂と堺の町人たちは冬の陣の前に、家族して荷物を持って逃げた。秀頼さまの命令で、大坂の一万五千軒の家が焼かれたのだ。豊臣方は東軍の攻撃で木津川口と博労淵の砦をなくして、船場のあたりを守備する力を失っていた。だから船場の町屋に火を放ったのだ」