花の棘
カウンターに座ると熱いお絞りでゆっくりと手を拭った。
烏賊墨ときんぴらとおでんと。孝介の好物が並ぶ。熱燗とお猪口は二つ。
「残り物よ」
「うまい……」
ずいぶんご無沙汰だった……
ちょっと寄りかかった孝介の肩が温かい。
居るというだけ。たわいのない話。もうすぐ今日が終わる。
「ありがとう、温まった」
立ち上がった背に、よし子はそっと声をかけた。
「孝さん……」
振り向いた孝介の胸に手を当てて背伸びし、唇を重ねた。
お正月を過ぎてよし子は熱を出した。丈夫なのが取り柄、バカは風邪をひかないと、いつも自慢していたのに。三が日、店を休んだので気が抜けたのか、ちょっとの間、風呂上がりに素足で流しに立ったのがいけなかったのか。卵酒を作ったり葛根湯を飲んだりしたが、なかなかすっきりしなかった。店を開けても冴えない顔をしていたのだろう。
「田中先生のところに行ってきなよ」
と、客に言われてしまった。
「あの先生、注射打つから。子どものときから怖くて、嫌いなの」
「今はめったに注射なんか打たないよ」
寝れば治ると強がりを言ったが、お客にうつしたらいけない。店を開けられなくなったらもっと困る。ようやく重い腰を上げた。
路地を少し入って、大きなガラス戸を開けると、スリッパが並んでいる。床はいかにも年季が入っている。こんなに古い街医者がまだあることが不思議なくらいだ。老先生が元気だからか。
長椅子に腰を下ろして目をつぶった。薬のにおい、診察室から聞こえてくるカシャッと金属の触れ合う音、子どものころからお医者さんに来ると母の隣で小さくなっていた。注射を打たれませんように。苦い薬が出ませんように。
表のガラス戸が開いて、よし子と同じ歳くらいの女が入ってきた。ジーパンにダウンを羽織っている。近所の人のようだが見知った顔ではない。化粧気はないが、きめの細かい肌が顔立ちを引き立てている。