春が来て、まわりの空気が優しくなった。

その日もからりと晴れ上がって、日差しが明るかった。

よし子は仕込みを済ませてから、店の中に風を入れた。

昼下がりの静かな通りは、ぽっかり真空みたいな気配になる。

そのとき、パラパラと子どもたちが走ってきた。男の子ばかり三人、ランドセルを背負って、後ろを振り向きながらはやし立てている。

そこへ風のような(かたまり)が路地から飛び出してきて男の子の一人に体当たりした。不意を食らった子は尻もちをついた。

男の子たちは、「わあっ」と声を上げて大騒ぎになった。

塊は小柄な女の子だった。倒された男の子は猛然と起き上がると、女の子に飛びかかった。顔を真っ赤にして殴りかかる。女の子に倒されたのがよほど悔しかったのだろう。

女の子は頭を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。よし子が止めようとして男の子の腕を掴んでも、蹴ろうとして足を上げる。

「あら、血が出てる」

よし子の声に子どもたちはびくっとした。子どもたちは血を怖がる。本当に女の子の腕に血が滲んでいた。

男の子たちはあっという間にいなくなった。

「お薬つけてあげるから、いらっしゃい」

立ち上がらせ、背中をそっと押して店の中に入れた。

椅子に座らせてから薬箱を出し、傷口を消毒した。

女の子は初めて目を閉じた。黒目勝ちの目を怒ったように見開いていたのに、目を閉じると人形のように優しくなった。あまりかわい過ぎるからいじめられたのかもしれない……

大人はそんな言い方をするけど、いじめられる当人にとってはいい迷惑だろう。

「あなた、やり返したわね、すごい」

よし子が感心したように言うと、女の子は「ふふっ」と首をすくめて笑った。

「良かったわ、かすり傷だった。のどが渇いているでしょ」

麦茶をコップに入れて渡すと、一気に飲み干して、美味しいとつぶやいた。

「待ち伏せしてるといけないから、私が見ててあげる。気をつけて帰るのよ」

「ありがとう」

女の子は一度振り返って、にっこりした。それから勢いよく走っていった。言葉に地方のアクセントがあった。転校生でいじめられているのかもしれない。よし子は曲がり角で、女の子の姿が見えなくなるまで立っていた。

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