宵祭り
まだ宵の口だった。サラリーマンが三人、元気な酒を交わしていたが、やがて腰を上げた。居酒屋「およし」の客は、カウンターの孝介だけになった。客の食器を片付けながら、よし子が声をかけた。
「この前、本町通りで孝さんを見かけたわ。朝早くトラックに荷物を積んでたの。孝さんは仕事をしているときもブスッとしてるのねえ。ここに居るときだけじゃないんだって安心しちゃったわ」
「あんなに早く、朝帰りか」
「やあね、朝帰りだったらもっと遅いわよ」
冗談にはぐらかしたが、孝介にとって仕事中の顔を見られたのは不本意だった。雰囲気を察してよし子は話題を変えた。
「今日は縁日ね。ちょいと、お参りに行きましょうか」
「客を逃すぞ」
「たまには息抜きも良いでしょ」
孝介は、この歳で縁日などと思いながらも、立ち上がった。よし子は灯りを消して鍵をかけると、弾むような足取りで孝介と並んだ。
夜店は孝介の故郷の祭りと同じだった。綿菓子、金魚すくい、ハッカパイプ……浴衣を着た女の子が孝介とよし子の間をぶつかりながら走り抜けていった。
「すっかり夏だわ、浴衣を売ってる」
ビニールシートを敷いた上に下駄や帯を置き、横のパイプには仕立て上がった浴衣がずらりと吊るされている。子ども用のパイプは花が咲いたようだった。娘の由布子が浴衣を着たのは三つくらいだったか。祭りに行ったが、孝介に抱かれている方が多かった。由布子を抱いたときの浴衣のシャキッとした感触を思い出した。
「娘さんいくつだったかしら」
「八つ……かな」
よし子に子どものことを話したことはなかったが……よし子は子ども用の浴衣を一つ手に取ると、笑顔になった。
「これ、かわいいわ。今度帰るときのお土産にしたら?」
孝介が黙っていると、店の親父さんを呼んだ。孝介はポケットから財布を出しながら、ポールに下がっていた大人用の浴衣を取り、これも一緒にと親父さんに渡した。
夜店を一巡りしてから神社に参り、店に戻った。かすかに酒の匂いがこもっている。
「歩き回って結構のどが渇いたわ」
孝介の前にグラスを置きながら言った。
「私の小さいときの浴衣も金魚だったの。つい懐かしくなって、おせっかいだったわ」
孝介は紺地にとんぼが染め抜かれた浴衣を袋から出して、よし子の前に置いた。
「奥さんのお土産でしょ?」
「いや、あんたにだ。子どものを選んでもらったから。俺だけじゃ思いつかなかった」
「そんな……」
「いつか着たところを見たい」
「孝さん……」
よし子がいきなり胸にぶつかってきた。袋から飛び出した浴衣の金魚が、薄明かりの店の床で、生き返ったように浮き上がった。