梅雨が明けると真夏日が続いた。孝介が現場から戻ると、社長が一杯付き合ってくれと言った。みんなが引き払った後、社長に連れられて行ったのは「およし」だった。よし子がお絞りを渡しながらさりげなく言った。
「珍しいのね、社長と孝さんの二人連れなんて」
「今夜は仕事の難しい話なんだ。よし子を構ってやれないから」
「何よ、その言い方、どうぞごゆっくり」
よし子は社長の肩をポンとたたいて離れていった。社長はお絞りで顔を拭きながら、よし子とは中学が一緒だったのだと笑いながら言った。
「ところで、孝さん、ここへ来て何年になるかな」
「六年ですかね」
「そうか、初めは行ったり来たりしてたんだな」
粟本工業は現在のところ、社長の下に五十代半ばの村木、そして孝介と二十代になるかならぬの若者二人、外国人労働者を雇うこともある。その村木が先月体を壊して入院した。
「村木も胃に穴が空いたんじゃあ無理は利かないだろう。孝さんにもっと負担がかかるだろう。そのつもりでいてほしいんだ。まあ、今でも孝さんが現場は取り仕切ってるんだがな」
「現場のことは今まで通りやりますよ」
「そう、頼んだよ。それで一つ相談だが、この際奥さんと子どもをこっちに呼ばないか」
「なんでまた急に……」
「いや、一人より家族がいる方がどっしり落ち着くんだよ」
「誰がですか」
「誰がって、そりゃ孝さん、あんたがだろうよ。それに周りの目も所帯持ちの男の方が信用できる」
「俺は信用できないですか」
「いや、孝さん、絡むなよ。例えばって話なんだから。とにかく孝さんは奥さんや子どもがいるんだから、一緒に暮らした方が良い。子どものためにもな。今度帰ったら奥さんに話してみないか」
孝介は娘の由布子を思い浮かべた。真っ赤なトマトを一つひとつ宝物のように並べるあの子が都会に馴染めるか。百姓仕事しか知らなかった孝介に、土木のコツを教えてくれたのは、監督の村木だった。初めは農閑期だけ来ていたのに、居っきりになったのも、村木の人柄に引かれたのもある。
先週、村木を見舞ったが、かなりやつれていた。村木の現場復帰までにはかなり時間がかかるだろう。村木には恩がある……
社長と別れて時間を潰し、「およし」へ戻ったら十一時を過ぎていた。すでにでき上がった客もあって、店の中は賑やかだった。カウンターの隅に座るとよし子が突き出しを置いた。
「深刻だったのね」
目の縁を赤くした表情が一瞬孝介に絡みつき、離れていった。
店の二階はよし子の住居になっている。店を閉めた後、孝介が一時そこで過ごしても、朝まで居ることはめったにない。そんな律義なところがいいんだ、無口なところが好きなんだと思いながらも、心の中に不満が残る。
その日の孝介はいつにも増して口数が少なかった。