おこうが古手屋から値切り倒して手に入れたという端切れを出して見せてくれた。襟の四半分の大きさしかないが、美しい紅色の絹布だった。何度か水をくぐっているようだが、それでも奥深い紅としっとりした布地の光沢に目を奪われた。紅い色は、こんなにもひとの胸をときめかせるものなのだ。

これはたぶん下衣(したごろも)だったのではないだろうか。どんな女が身にまとったものだろう。どんな男がどんな女のためにこれをあがなったのだろうか。わたくしが嫁入りに持参したものは、年老いてからも着られるものばかりである。長持の中味は面白くも可笑しくもない、どれもこれも似たり寄ったりの、目立たぬような色の地味な小袖ばかりである。

武家の女は質朴でなければならぬと言われて育った。普段着にこんな紅色の下衣など思いもよらないことだ。京や大坂の女たちはみんなこのように美しい物を普段に身にまとうているのだろうか。わたくしは長持の中味を思って、思わずため息をついていた。

ふと聞いた話を思い出した。京の有名な遊郭のことである。そこにはきらびやかなお衣裳の美しい遊女たちが大勢いて、まるで花畑に踏み迷ったような気分にさせられるのだとか。夜も百目ろうそくが何本も灯されて昼のように明るいらしい。高価なろうそくを何本も……。それは想像もつかない贅沢さだ。

そもそも江戸に造られた遊郭は、遊女たちに身分の上下の差を作ったことも、京を手本にしたものだとか。闇の中に置かれた行燈の柔らかい灯りの中に、紅い下衣だけのしどけない遊女の姿が浮かび上がる。

あっ、と思った。太夫の古くなったり飽きてしまったりした小袖や下衣はどこに行くのだろう。すぐに古手屋の手に渡るのだろうか。わたくしは、いつもいつも兄の「おさがり」を着せられていた弟のことを思い出した。もしかすると太夫の衣装は遊郭の中で、上から下へと順に「おさがり」になるのではないだろうか。

最高位の太夫はいつも新しい衣装に袖を通すことができても、下位の遊女たちはいつも上からの「おさがり」ばかり、ということはないのだろうか。「おさがり」がいよいよ下まで下りて、ついに客の前に出せなくなった順から、遊郭の外に売りに出されるのではないか。こんな暇つぶしの話は口には出せない。ひそかに思い描くだけだ。

【前回の記事を読む】娘のように愛しいかったが…美しくなっていく阿梅への「苛立たしさ」