【前回の記事を読む】「生きるとは、ふしぎが紡いでくれるドラマだ」恩師との旅を通して感じた風景
第二章──回り道のふしぎ
私はいま、園長と住職という立場で毎日を過ごしているけれど、これまでずいぶん回り道をしてきた。まっすぐこの立場につく道を歩もうと思えば、その道を選ぶこともできたはずだが、そうはしなかった。正直にいって、決められた道を進むことを避けたかったからである。自分は自分で歩く道を作っていきたかった。そしてこの回り道を選んできたことが、いまとなってみると、とてもよかったと受けとめている。
もちろんまっすぐの道を歩む人がいるのは当然であり、それを否定する資格を私はもち合わせてはいない。ただ、私自身を振り返ってみると、回り道をしたことで、とても視野が広がり、こころに余裕をもつことができたように感じている。そして、回り道をするには、多くの人の理解と支えがなければできないことだったと、いまになって気づくこともでき、感謝の毎日である。
そんな回り道を歩いている間に出会ったふしぎについて、振り返ってみることにする。
中村さん
第一章に記したとおり、天文学者への道を歩むことが困難であるとわかり、では次にどこに向かっていこうかとなったとき、改めて自分自身を見つめ直してみた。自分とはいったいどんな人間なんだろう、と問うてみると、優柔不断で、自分の思いもなかなか口に出せない、頼りない姿が見えてきた。
そこで、こんなつまらない自分の性格を変えることはできないだろうか、と真剣に考えはじめた。そんなときに、ある一冊の本を手に取った。性格とはどんなものか、性格は変えられるのか、それとも、変えることは不可能なのか。そんなことが書いてある心理学の本だった。その本の著者のもとで学んで、自分自身の性格を変えたい、と真面目に思いはじめ、この先生が勤務している大学の受験を心に決めた。
しかし受験したところ、見事に門前払いを受けた。頭の準備ができていなかったのだ。そこで「浪人」という道を歩きはじめることになった。
私が通った高校には「補習科」という、浪人生を迎えるクラスがあった。いっぽうで都会に出て、名の通った予備校に通おうかという思いも少しはあったため、どちらに進むのか、かなり迷った。しかし、最終的には補習科に進むことを選んだ。