【前回の記事を読む】「なぜ空間は無視されるのか」…相対論の非現実性に切り込む

第1部 相対論における空間の問題

1 沈みこむというイメージ

1枚の方眼紙宇宙には、上下方向が存在しない。

しかし最初から下に向かって沈み込む画を見せられ、小天体は斜面を滑り落ちることまで前提されている。すなわちすでに重力がこの図全体に利いていることがイメージされている。肝心の、重力とは何かということを説明しているつもりらしいが、実は先入観の中にあらかじめ設定されている。

すなわち、下に落ちる、という直観である。例えば柔らかなベッドに乗れば沈み込むといった、当たり前の感覚をこの図は利用している。

物は下に落ちる、ということをそのまま理論化したのはアリストテレスだが、要するに相対論の重力理論は天動説と同レベルの原始的直観に基づいているのではないか。1つ譲って、重力は自分の中に沈み込む力であるということは認めるとしよう。つまり例の図において下向きの力はありうるとする。

これによって離れた2つの物体は引き合うことになるのだろうか。大天体の作った斜面を小天体が滑り落ちてゆくと想像するとき、実は小天体の方もおのれの重さで穴を穿(うが)つことを忘れてしまう。

[図]

小天体はその穴にはまり込むのであって、全体が大天体に引き寄せられるようにするには、その穴自体が移動しなければならない。つまり上図の左側なら小天体は大天体に引き寄せられる。しかし右のようになると考えるのが普通ではないか。

とすると、歪みが引力として働くためにはそれがゴムシートのような材質であるという、相当に都合のよい想像を強いられる。

材質とはこのたとえ話の場合に空間そのものであるということなので、空間がまさにゴムのような復元力を持つ一種の物質であると、この想定全体は仮設するのだ。