しかし、奇妙なまでにこの作り話に私たちは違和感を抱くことなく付き合ってしまう。結論は簡単だ。大きな天体と小さな天体が互いに引き合う力を持つとすることが、重力の唯一あり得る明快な説明なのであって、両者を載せる方眼紙の歪みに重力としての意味を持たせることはできないのである。
もちろんこれは重力という概念について新規なことを何も言ってないわけだが、事実としてそれ以上のものはないのだ。重力をもたらすグラビトンなる粒子が存在するや否やということはこの話には無関係であることはご理解いただけるだろう。グラビトンが存在するなら、それは2つの天体を引き寄せ合うのであって、空間を歪ませる訳ではないということだ。
つまり2つの引き合う球体があるなら空間が歪むなどと言わずにいかなる引き合い方をするのかを描写することが唯一の正しい思考法だと思われる。重力があるからアリーナ状の斜面を滑るのであって、それがなければ斜面の途中だろうが縁だろうが小天体は止まっているはずなのだ。
たとえば太陽のそばを小天体がよぎるとき、その軌道が曲げられてしまうことを空間の歪みのせいと言われると少し納得できる気になるけれど、地表にある石がやはり空間の歪みによって引きつけられ続けているとは、いかなることだろうか。
静止状態にあるものに対して、空間の歪みは意味を持つことはできないのではないだろうか。
以上のことは、一般向けの科学解説書に出てくるたとえ話の羅列にすぎない。小学生から中学生にかけてのどこかで、そのような記事に接して、納得できるようなできないような、微妙な感想を抱いた。
もっと核心を衝いた重力の解説がほかにあるのだろうとは感じたが、さすがにそれは当時の私の手に余るに違いないと思うと追いかける気がしなかった。