だが年を経て、いくつかの論文を読み、アインシュタイン自身の文章にも目を通し、これはたとえ話などではなく、重力理論の中心的な着想そのものであることを悟るようになった。いや、たとえ話なのだ。しかし語り手はこれが事実であると言う。

人はおそらく一般相対性理論の難解な数式に恐れ入って、異を唱えることはしない。しかしあの複雑な数式は、なんのことはない、擂鉢の形すなわち時空の歪みの形を表現したに過ぎないのであって、なぜ擂鉢ができるのか、なぜその擂鉢の斜面を天体が転がり落ちるかについての説明はそこに含まれていないのだ。

「重力が時空を歪ませる」という言明文は、単なる決めつけであって、その仕組みを表すものではない。つまり、平面にくぼみが生じること、すなわち時空が歪むことで、重力が生まれるなどということはないのではないか。

それは図から受けるイメージだから。おそらく多くの人はこれが私の簡略すぎるたとえ話であり、時空の歪みによって重力が生じるメカニズムについての説明がどこかに存在するはずだと思うことだろう。少年時代の私の感想と同じだ。しかし何処まで調べていってもたとえ話しか出てこない。

これは、発想の根源がたとえ話であるから、私の批判もたとえ話にしかならない。擂鉢の材質を論じることに実質的な意義は存在しようがないのだ。しかしこれはそもそもの重力論が空間の性質というものを全く思考の外に追いやっていることが、この擂鉢への置き換えによって明らかになっていると考えるのが正しい。

すなわち、時空が歪むということの意味を私たちはよく知らないまま、それが重力を生むことだけは信じるのだ。