一九四六年の中頃であった。保は隊長と別れ破れた文庫版の『女の一生』二十頁と奉天で拾った独乙語参考書、ボロ布、独乙人から万年筆と交換したニッケルスプーンを背嚢に入れ、うらに防寒靴下と手袋をぬい隠した綿入上衣を着てヒョロヒョロとバラックから出た。
日本人は山下軍医、保そして大川という衛生兵、独乙人はドクターブルンク、シェシャルク、フェルチャーオーネゾルゲそしてハンツ。保が初めに仲好くなったのはハンツだった。
顔の赤い、生毛が顔一面に生えている少年で、誰も居らぬと保達の部屋へそうっと入って来て、我が独乙は未だヒットラーが生きている。只スペインへ逃避している丈だ。今に今に立上ってソ連に復讐するのだと瞳を輝かして何の返事もせぬ保に話すのだった。
かと思えば医療具を並べながら
「保のお昼は何だった。僕は又水スープと黒パンだよ。それなのにドクターはケーキとドロドロ脂の浮いたスープなんだ、瘦せちゃうさ。でも家へ還るんだ。家では十分食べられ又ヒットラーユーゲントになれるんだ」。
まだハンツは十七才なのだ。短い夏も過ぎ去り再び雪のふり始める九月の中ごろの朝、床洗いしている保の処へブルンクが、
「誕生日おめでとう」
と机の上に粉たばこを山盛りくれ、シェシャルクは毎日陽の当る窓際をあちこち移して赤く成るのを楽しみにしていた小さなトマトを三つ四つくれた。彼等に何日ぞや、話しついでに語った保の誕生日を覚えていてくれたのだ。
保がひそかに鬼瓦とあだ名していたブルンクは見上げる様な大男で、真赤な顔のたくましい体つきに似合わず、耳許で囁く様に話するドクターで、保が仕事が終ってからボンヤリ一本の木もない遥かな丘陵の彼方へ夕陽が落ちて行くのを見ているとブルンクが
「今夜は特別音楽会がある、さあ之が切符だ」
と飯ごうを潰して造った豚の絵が彫ってある小さなニッケル片をよく手に握らせてくれた。特別音楽会は月に一、二回ソ連人、捕虜幹部を招いての演奏会で保たちは到底行けるものではないのにいつも余計切符を確保してくれた。