このことは日中関係だけではなく、日本とアジア諸国との外交においても同じことがいえる。かつての中華圏における朝貢制度は成文法によるものではなかったけれども、不文律として圏内の安全と経済や文化の発展に貢献してきた。朝貢制度は不完全(法体系を取らず道徳的不文律)で緩やかではあったが、当時の東及び東南アジアにおいて機能した安全保障システムといえるほどのものであった。

中国大陸のように陸続きではないけれども、太平洋と大西洋を(また)いでユーラシア大陸と結んでいる米国が第一次大戦以降目指してきた国際安全保障戦略も、条約体制(欧米文明)による一種の朝貢制度といえる。華夷秩序下における朝貢制度も当時の万国公法も、相手国の文明度によって華(欧米諸国)と夷(アジア諸国)と差別化する二重性を帯びていた。

しかし、万国公法の信頼性(信義)は、当初にあっては朝貢制度よりもかなり低いものであった。それが日本や中華圏に入ってきて儒教の精神が加味されて、法と徳とが渾然と一体化して近代国際法となったといえる。本来は国家間の権利や義務を規定する単なる書付であったものが、徐々に世界の国々が遵守すべき普遍的な法として形而上(けいじじょう)的色彩を帯びてきたのである。

日本では文明開化とともに導入され金科玉条(きんかぎょくじょう)(守らなければならない重要なもの)として奉られ、破ってはいけない定書(さだめがき)と理解されたようである。今日の米国を中心としたリオ条約、NATO(北大西洋条約機構)、ANZUS(オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ合衆国安全保障条約)、日米・米韓同盟などは米国を中心としたかつての華夷秩序関係にあるといってもよいだろう。

経済関係ではWTO(世界貿易機関)、NAFTA(北米自由貿易協定)、日米・米韓貿易協定などがそうである。これらは交通や通信網の発達によって、陸続きでなくても密接につながるようになった。ただし米国が保護主義を優先した場合には、この朝貢システムは機能しなくなる。それがパックスアメリカーナを自認する米国の信頼性を失わせてきた。

これから紹介する歴代中華王朝の採った朝貢制度と、後に述べる米国の世界及び東アジア戦略構想とを比較してみると興味深い。朝貢制度の基本原則は、軍事、経済、外交、文化、技術の総合力をもってスーパーパワーの地位を確保し、ゆるぎない威厳と徳・礼節(今日では国際標準や自由民主主義に当たる)をもって相手国を自分になびかせる方策であったといえよう。ロシアのように軍事力だけでは国際標準国家とはなりえない。