【前回の記事を読む】朝貢制度はいわば、当時の東及び東南アジアにおいて機能した「安全保障システム」!?
第二章 歴代中華王朝における華夷秩序の変遷
華夷秩序と万国公法
大陸に勃興した歴代中華王朝のとった華夷秩序構想の歴史と、第二次大戦後の米国の世界安全保障ドクトリンを比較検討してみよう。
歴代中華王朝の朝貢政策
さて朝貢に関する歴史書の記述は、中国の漢書や魏志倭人伝及び晋書や宋書などに記されていて、漢の時代以前から既に行われていたようである。
前漢
秦の始皇帝は法治主義(人の本性を悪とみなして、法の強制をもって人民を統治する考え方)を推し進めて民間の医学、占術(うらない)、農学以外の書物を全て焼き捨てるとともに、王を非難する者を生き埋めにした(焚書坑儒)。すなわち儒教精神の要であった徳(性善説)を全面否定したのである。
これによって、それまで官民一体となって平和裏に暮らせてきた社会を一変させた。
これは毛沢東や現在の習政権下の中国に見られる毛語録や個人崇拝の強制による専制政治体制と似ている。これによって思想の統制と個人の自由を制限した。
GHQが戦後日本を統治したやり方も、これに近いものであった。すなわち日本古来の文化や伝統に関する書物を焼き捨て、著名な指導者を絞首刑に処したのである。
皇帝は、郡県制(地方を郡と県に分ける)を採用して中央集権的な行政制度を実施する。また万里の長城を修復して四周からの「匈奴」(敵:蛮族)の襲撃に備える。紀元前二〇二年、劉邦(高租)が項羽を破って長安(現在の西安)に前漢を建国する。国内の財政難を打開するために、塩・鉄・酒を専売制度とする。
七代皇帝武帝は、北方の匈奴を衛青・霍去病両将軍を派遣して北方に追いやって、南越(ベトナムの北部)を征服する。衛氏朝鮮を破って楽浪郡(郡の一つ)を設置する。また軍事力増強のために、汗血馬と呼ばれる暑さに強くて持久力のある名馬を手に入れるために、現在のカザフスタン辺りのフェルナガ(大宛:オアシス国家)にまで遠征する。
当時の馬は今日の戦車や原爆に相当するほどの力があった。東西交易が活発になって、インドから仏教が伝来して来る。これが後に儒教の教えに反して治安の乱れを誘発する。今日の民主主義に反する共産主義や権威主義の台頭に似ている。司馬遷の「史記」(中国最初の歴史書)が完成する。