【前回の記事を読む】「どちらが生きやすい世の中か」の問い…中国の自由民主主義へ挑戦

第二章 歴代中華王朝における華夷秩序の変遷

律令時代の日本律令時代の大和朝廷は、時の中華王朝に倣って華夷秩序システムを受け入れた。この古くから中華王朝が実施してきた「朝貢制度」は、今日においてもなお日中韓の関係や東南アジアと中国、さらには欧米諸国と東アジア・東南アジア間の安全保障や外交及び貿易関係に、少なからぬ影響を及ぼしている。

朝貢制度は、時の中華帝国を中心とした周辺諸国との平和共存を維持するための画期的なシステム(華夷秩序)として機能していた。中華帝国を中心とした安全保障システム(パックス・シニカ)の根幹をなす構想であったともいえる。

朝貢制度とは自国を固め、武威(ぶい)をもって周辺諸国を従わせ、外交と徳をもって平和共存を図る経世の術(地域安全保障構想)ともいえるほどのものであった。中国に勃興した各王朝の朝貢制度の跡を辿って、今日の米国や中国の世界戦略や東アジア戦略構想と比較してみることにする。

華夷秩序と万国公法

「朝貢制度」は、形式的には君臣関係(ロシアとCIS国家関係類似)を目的とするものと、貿易や交易を主とする(WTOやRCEP類似)ものに大別される。ただし、朝貢には契約以上に「徳・礼節」の要素が重んじられていた。

日本との関係に例をとると、中国大陸の漢や西晋(せいしん)東晋(とうしん)との間に交わされた聖徳太子以前に行われた朝貢は、君臣関係に当たり、以後は交易関係に相当する。太子以前は、漢や晋の威光(虎の威を借る)をもって朝鮮半島に存在した新羅や百済などの諸国に対して優位な地位を確保するために利用された(地域安全保障=小中華)。太子以後は、中華王朝と気分的に対等の立場での交易が主な目的となっている。

ただし中国側からすれば、一貫して君臣関係の朝貢(華夷秩序下)と見なされていた可能性が高く、厳密に区別することは難しい。しかし欧米を含む中華圏以外の諸国からみたら、そのアジア的で曖昧な外交関係を理解できなかったようである。

それは、華夷秩序下における朝貢制度には、法(規定)以外に最も重要な精神的な支え(徳・礼節)が内包されていたことによる。そのために十八世紀末のアヘン戦争以降、中華王朝と交易を始めた欧米諸国が国家間の関係は万国公法(倫理を抜きにした規約・条約)に拠るべきとして、朝貢制度は廃止されたのである。

それでも長期にわたる中華帝国の歴史的背景から、欧米諸国は日中間や中国とアジア諸国の交易を朝貢関係に結び付けて見る傾向がある。少なくても日中間の友好関係や天皇・議員団の訪中などの行為には、今日でも強く反応するとみる必要があろう。