彼はピレネー山脈を越えて800キロメートルを歩いている、そして、サンティアゴ・デ・コンポステーラを過ぎて海岸まで直進すると言う。1日40キロメートルのペースで歩いているそうで、最初のピレネー山脈越えがかなりきつかったが、それ以外は平坦で何でもないと言った。

その間に一人だけ同年代の日本人男性に会ったそうだ。私がこのカミーノで会った日本人は彼一人だけである。彼は来年九州の方の市役所に就職が決まっているので、自由な身のうちに冒険をしていると話してくれた。私の後に来て、私より先に出て行った。

よほど日本人に会ったことで興奮していたのだろう、お金を払わずに出て行って、慌てて戻ってくるというおまけつきだった。彼はきっと800キロメートルを歩くことで何かをつかむだろうと思った。それだけ大変なことをやりとげて何も見いだせないはずはない。

この日はアルスアのインフォメーションに午後4時ごろに着いた。この日も20キロメートルほど離れたホテルだったので、送迎を頼んであった。電話をするとスペイン語しか返ってこない。ゆっくり英語で話してもスペイン語で何か言ってくる。

インフォメーションにいることと名前を告げたが電話は切れてしまった。しばらくして相手から電話がかかってきた。今度は息子さんらしく英語だったので同じことを告げた。悪かった、申し訳ないと繰り返し謝っていた。何でもないと口では言ったが、外の寒さは厳しかった。

夕食は豪華でワイン、前菜、ステーキ、デザートとどれもとてもおいしかった。小窓の付いた石造りの素敵なホテルだった。

12月7日

インフォメーションまで、電話のお母さんが送ってくれた。昨日は悪かったと繰り返し言っていたのだと思う。教会の方向へ行きなさいと教えてくれて帰っていった。朝方まで降っていた雨が上がったが、まだ石畳はぬれていた。街を抜け、広い草原に出ると真正面に大きな虹がかかっていた。

昼食に入ったバルにはサッカーのユニフォームがたくさん天井から下がっていた。それから壁やテーブルにびっしりとメッセージが書かれていた。忘れられないメッセージがあった。それは「サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道のりを忘れるな。あなたの目が見たもの。あなたの心が感じたこと」という英語のメッセージだった。

歩いていると景色ももちろん見るが、多くの時間いろいろなことを考えている。今までのこと、例えば失敗したこと、あきらめたこと、反省すること、意地の悪い言動、など、など……。でもそれらの経験が今の自分を作っているのだと思えてくる、悪いこともいいことも含めて。今の私は私が納得できる私になっているのだろうか。私は何を求めて歩いているのだろう。これはただの旅なのか。

【前回の記事を読む】「石を積んだ家が並ぶ中世のような村」に「小高い丘」。飽きることない景色に抱かれて