「わしの名は、さざなみ、しんせん。さんずいに連続の連、神様の神に仙人の仙じゃ。また、いつでも会える。太郎、心配するな」
「漣神仙……」
太郎は口の中で繰り返した。 太郎がもごもご言っている間に、老人は完全に空間の中に溶け込んでしまった。太郎の前は石段の手すりとその向こうの木立だけの世界になっていた。太郎はイリュージョンを目の前で見たような感覚に襲われていた。
翌朝、太郎は神仙老人に言われた通りの儀式めいたものをした。鏡に映った自分に向かって二度かしわ手を打つところだけは妙に抵抗があったが、ものは試しと実行した。恐る恐る外へ出ると、二日前のいつもの光景に戻っていた。道行く人達の背後に見えていた憑き物は透明になっている。アパートの階段を下りて、大家の家の前を通りかかると、
「あーら、松岡さん。おはようございます。今日も調子良さそうじゃない。お仕事頑張って」
といつも通り大家の奥さんに声をかけられた。しかし、昨日見えたはずの憑き物は見えない。
「おはようございます。行ってきます」
歩きかけて振り向き、教わった組み手を家に入ろうとする奥さんに向けた。すると狐から蛇に変化していく背後の憑き物が見えた。組み手を解くと見えなくなった。
(俺は幻覚を見ていたのではない。漣神仙も幻ではない)
太郎は明確な理由はないけれどもワクワクしてきた。出勤途中、両手を組み合わせた人差指を相手に向けると、必ず背後が透視できる。手を解けば見えなくなる。何度も試してみたが、結果は変わらない。オフィスにいても、得意先でも実験してみたが、同じことが再現される。
(間違いない。本物だ。でも、この力をどうすればいいのだろう?)
太郎はアパートに帰る電車の吊革にぶら下がりながら考えていた。気がつくと神社の石段のところに来ていた。今日も漣神仙老人に会えるかもしれない。話を聞いてもらおうと太郎はしばらく石段に腰かけて待つことにした。