例えば、自然の風景を見て美しいと感じることがあります。自然は、人に美しいと思ってもらいたくてそのような風景になっているわけではありません。
しかし、そうしたものを他者と共有することができたならば、みんなで町づくりを行っていく場面においては、観光スポットとして生かすこともできるし、「丘の町」といったような形で、町の風景を整えることすら可能になります。これは、自然界や日常の現象(音)から美を感じ取り、表現(音楽表現)へと整えることと重なります。
頭ごなしに「音楽は言葉ではいい表せない」というのは簡単ですが、音楽という、言語化しにくいものをぎりぎりまで対話によって言語化※5することによって、安易な相対主義に陥ることなく、「普遍性」を目がけ合うことが重要です。単に脊髄反射のように「この音楽、いい」というのは、学校での味わい方としては物足りないのではないでしょうか(娯楽として行うのであれば、休憩時間等の時間を活用すればよいのですから)。
そして、ぎりぎりまで言葉で表そうとして、それでもなお表せないところにある音楽のよさを一層実感できるのではないでしょうか。
本書は、そうした立場から、教育としての音楽の授業を組み立てていく際に、考慮していくことについて述べたものです。
自然と、それは、先に触れたような学習指導要領にも書かれていることについても、主旨を実感的に授業化することと重なるといえます。子どもたちとのお勉強に臨む上で、そこから出発することも大切ですが、むしろ、教師が自律的に何のための学習・活動かということを常に考慮して臨むこと、そうした思考をした上で学習指導要領と照らし合わせるという在り方も重要であると考えます。
なぜならば、学習指導要領はしばしば改訂されるため、そのたびに振り回される、あるいは、ぶれまくるようでは、過去に教えた子どもたちにどのように説明したらよいのだろうということにもなるかもしれないからです。
※1 奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』東洋館出版社、2017、p.69.および70.
※2 苫野一徳「『美』とは何か、そして教育における『美意識』について」『教育研究』75(7)、不昧堂出版、2020、p.16.
※3 同上。
※4 同上書、p.17.
※5 言語活動は、単にたくさん喋ればいい、言葉を使えばいいという趣旨ではありません。言語活動の充実は、各教科等を貫く改善の視点として掲げられ、第8次学習指導要領における言語活動は合科へのワンステップといえるものでした。言語活動の導入により思考力等の育成に一定の成果は得られつつある(中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」(平成28年12月21日)『別冊初等教育資料』2月号臨時増刊、東洋館出版社、2017、p.37.)とされました。しかし、そのあとの指摘が重要で、依然、各教科等において、教える内容中心に教育課程が整理されているという問題が明らかに述べられています。