第二部 カフェ「MICHI」が誕生してから

母の再婚―苦悩

母は、仁美を祖父母に預けて愛媛県内の男性と再婚した。再婚先には、夫の祖母と父母、12歳、6歳の男の子がいた。母は、落ち着けばすぐに仁美を迎え入れると固く心に決めて、嫁いだのであるが、その思惑はすぐに崩れ去った。

夫の父母からのいじめに近い嫌がらせ、新しい母を受け入れられない12歳の男の子の母への暴行は、母の再度の離婚を決意するのに時間はかからなかった。母は、仁美を連れて呉市に戻り働くことを決意し、準備を始めていた矢先、妊娠に気づいたのである。

〈子供二人を父親なしにしてもよいのか〉。母は悩みぬいた末に、離婚を断念したのであった。仁美への思いは深まるばかりであったが、会いに行くことすらままならない再婚先の事情があった。

祖父母の愛―そして哀しみの連鎖

大切にしている一枚目の写真には、仁美と祖父母が写っていて母の姿はない。仁美は、祖父母の愛情を一身に受けて暮らしていた。祖父は厳しくしつけをしてくれる存在であり、祖母は穏やかに仁美を見守ってくれたのだ。

多感な時期に、父母の愛情を知らずに生きる仁美が、不良化することなく成長できたのは、祖母がいてくれたからである。祖母は仁美にとって、逃げる場所としての存在であった。人は、子供も大人も、自分を守るためには、人であれものであれ何かが必要である。祖母の存在があったから、仁美は自分を立て直すことができたのであった。

しかし、仁美にとって最も頼りにする祖母が、急死したのである。仁美が中学2年生のことである。その後、仁美は、呉市で健在であった医師の祖父母のもとで暮らすことになった。母の決断であり、仁美の望みでもあった。祖父母との生活に、明るい光が見え始めた時、祖父が帰らぬ人となってしまったのである。仁美が高校2年生の春のことであった。

母との暮らし

母は、仁美をすぐに愛媛に迎え入れた。義父、23歳と16歳の義父の息子、母、10歳の妹との生活が始まった。仁美は17歳にして初めて母と暮らしたのである。たかだか2年足らずの月日であったが、その月日があったからこそ、その後の母娘の絆が生まれたのだ。

仁美は、県下有数の進学校に転校した。いかに仁美が優秀であったかをうかがい知ることができる。

2枚目の写真は、高校時代のものであり、母と高校の友人二名が一緒に写っている。転校早々、素敵な友人との出会いは、その後の仁美の生き方を豊かにした。

また、母は何事も人のせいにしない生き方をしており、仁美はその母の後ろ姿をずっと追い続けることになるのであった。