過去に帰れと言うのではない。日本本来の姿を取り戻せということである。

日本以上に罪深かったドイツは、戦争責任をナチス・ヒトラーに帰して、欧米流に見事に復帰を遂げているのであるから。

儒教精神の(ゆるす)(他人の立場や心情を察してあげる:和の心にも通じる)に基づいて欧米から輸入した万国公法を理解し、その法を順守し同盟国ドイツに義理立てして太平洋戦争に至り、その心をもってロシアとの不戦条約を信じたことが、さらに大きな災いを招くことになった。

欧米流のプラグマティズムの思考回路を持たなかったがためにもがき続けた七十余年、もう十分に懺悔(ざんげ)は果たしたといえる。これ以上は単なるマスターベーション(自慰)であり、国家にとっても個人にとっても無責任で恥ずべき行為ではないだろうか。

キリスト教においては、原罪によって個人の犯した罪を神が代わって償ってくれた。そのおかげで個人は犯した罪を神に告白することで償うことができた。しかし儒教の性善説に基づく責任の取り方は、ベネディクトやキーンの言う通り自己責任となっていつまでも自分自身に重くのしかかるのである。

当時は、キリスト教国家(欧米)の作成した実用法(国際法)に倣って彼らと同じ土俵上で生存競争をしたのだから、同じ土俵で裁かれるべきが当然であった。

しかし敗戦後、なぜか特設リングの上で、しかも仲間内のジャッジの採点によって裁かれたのである。彼らは自分たちで法を創り、自分たちの都合に合わせてその法を解釈してきたのである。