高校生のころ
高校生になるとどうなったか。私の住まいは宍道湖の西側の平田市(現在は平成の大合併により出雲市)にあり、高校は宍道湖の東側にある松江市内にあった。
毎日宍道湖の北側を走るオレンジ色の電車に乗って、宍道湖を眺めながら通った。ときには遠くに大山が見えることもあった。高校時代はのんびり星空を眺めるという余裕はあまりなく、むしろ星や星座について書かれた本を探して読むようになっていた。
高校三年になると、天文学者になりたいという夢に、本気で向き合わなければならなくなった。
私は天体望遠鏡で星を観察するというよりは、ぼんやりと肉眼で眺めて、いろいろな物語を空想することのほうが好きだった。ただぼんやり星を眺めているのが天文学者の仕事だと思いこんでいた私には、宇宙物理学や天体力学といった科学分野は、険しい峰々の続く山岳地帯のように感じられた。
天文学者になるという夢は、こうしてはかなくも消え去っていった。ただ、読み続けていた星に関する本のなかで、野尻抱影(以下、抱影)という名前をしばしば目にするようになった。
抱影は英文学を専攻して英語教師からスタートしたが、やがて星への興味から、星に関する本をたくさん著し、いまでは準惑星となっている冥王星の名前をつけた人物でもある。星だけではなく、山や神話や伝説について、読みやすい文章で語りかけてくれた。抱影の文章にこんなのがある。
科学は宇宙の神秘を年ごとにあばくが、あばくそばから新しい神秘が加わる。星は永久に若く、みずみずしく、むろん美しい。
「桜新町」
こんな文章に魅せられて、私の頭のなかに抱影の名がしっかりと刻まれた。この人が、最初に紹介した名刺に関わる人物の一人である。名刺には志賀の手で「野尻様」と書いてある。つまり、この名刺は志賀本人が抱影に渡したものだった。