【前回の記事を読む】魅力的な車が次々発表された1970年代…日本のモータリゼーションの絶頂期

車社会の行く末はどこ

世紀の発表イベント【ケンメリスカイライン】

昭和47年の9月、スカイラインがモデルチェンジした。ケンとメリーのスカイラインの登場である。このスカイラインのモデルチェンジは、大げさに言えば国民的イベントであり、現在では全く想像もつかない盛り上がりであった。

現在ではスマートフォンの新モデルが売り出されると何百人かがオープン前の店の前に並んだというニュースが必ず流されるが、スカイラインの発表会は次元の違う盛り上がりであった。私の家にも最近までその時もらってきたカタログが取ってあった。

私の想像では、日本の自動車の歴史上、動員数はもちろんのこと、今までで間違いなく一番盛り上がった新車発表会であったのではないかと思う。本当にまさに老若男女が、世の中の一大イベントに繰り出したという様相であった。入場制限までした異様な盛り上がりを私は今でも覚えている。

このケンメリスカイラインは実質5年間で60万台以上を売っている。しかも、悪名高い排ガス対策のNAPSで瀕死の状況になりながら、キャブレターを電子制御の燃料噴射に変えたりして末期モデルまで何とか人気を持続した。

私が乗っていたケンメリ2000GTはNAPS直前の48年排ガス規制最後の在庫車であった。昭和50年(1975年)の夏、長年お世話になっていた自動車整備工場の社長から、それまで乗っていたカリーナハードトップ1600SRが2年経ったのでそろそろ買い替えたらどうかという持ちかけがあった。

当時は2年で車を買い替えるのは普通で、新しい車が次々に出てくるので、ユーザーもそれに乗せられていたのかもしれない。その話があった時、私はクルマ好きの父に「今度はスカイラインがいいと思うんだけどどう?」と相談をしてみた。

父は車好きで、イギリスのモーリスに若い頃乗っていたのが自慢で、よくモーリスやルノーの話を聞かされた。そのあとダットサンにも乗っていたが、よくオーバーヒートして止まってしまったのを子供心に覚えている。そんな父なので、中島飛行機を出発点とするプリンス自動車の流れを汲むスカイラインが嫌いな理由があろうはずがない。