【前回の記事を読む】「ドロドロドロというエンジンの排気音」“生粋の車好き”からみたOHVとは?
車社会の行く末はどこ
もう一つの拠点 ヒルトン ”オリガミ”
余談であるが、この友人とは青山のココパームスともう一カ所よく待ち合わせをしていたところがあった。
菅前首相が首相就任後しばらくの間、毎朝秘書官と朝食を取っていた、現在のザ・キャピトルホテル東急の“オリガミ“である。
当時は東京ヒルトンホテルといって、友人とは前回がココパームスだったので今回はヒルトンにしようかというような感じで交互に利用していた(注)。
このコーヒーハウスにはいろいろと名物メニューがあり、なかでも排骨拉麺(パーコーラーメン)といって、ラーメンの上に豚のロースを薄切りにして唐揚げのようにしたものをのせた麺が有名であった。私も一度だけ食べたことがある。東京ヒルトンは昭和58年に閉館になり、その後キャピトル東急ホテルなっているのでその直前だったと思うが2000円くらいの値段だったと思う。
今までの私の人生の中で食べた麺類としては最も値段の高いもので、いまだにこれ以上の値段の麺は食べたことがないし、これからも死ぬまでないと思う。
また、このコーヒーハウスには他のホテルでは味わうことができない素晴らしいサービスがあった。
今から50年近く前であるが銀製のポットサービスのミルクティーとケーキで1000円くらいだったと思う。
しかも、私は初体験であったがミルクティーのミルクは温めた牛乳が別の陶器製のカップでサービスされた。
銀は柔らかいのか、使い込まれて歴史を感じさせる細かなキズのある、趣のある大きい銀製のポットに入れられた紅茶はたっぷり2杯分はあり、コーヒーに入れるコーヒーフレッシュといわれるミルクを持ってくる、他のホテルのティールームとは全く違う素晴らしいミルクティーであり、紅茶好きの私からみても、私の人生で最高のミルクティーであったと言ってもよいと思う。
また、私の友人はこのようなホテル内のお店の利用に詳しかったのだが、友人がケーキを選ぶときに、サンプルをお願いしますと言ってウエイトレスさんにお盆にのった全種類のケーキを持ってきてもらい、説明を聞いたうえで自分の好みのケーキを注文したのには驚いた記憶がある。
その後、私も恐る恐る15種類くらいはあったであろうケーキのサンプルをウエイトレスさんに持ってきてもらった時には、笑われそうだが何か大人の階段を一段上がったような錯覚をした。
当時のオリガミはフェアのようなものをよくやっていて、ストロベリーフェアの時は必ず期間中に何度か行って、ちょっと高かったがイチゴのミルフィーユ(本当の名前はナポレオン)を食べたりしていた。
また、一番奥の席に座った時には、ガラスの向こうの庭に面した廊下伝いに、ホテル内の高級な日本料理のお店に歩いて向かう人たちを、どんな人が利用するのだろうとボーっと眺めていた。
また、このヒルトンでは何度かエレベーターなどで、このホテルを定宿にしているといわれていたジャイアント馬場を見かけた。
50年後の現代の若者には想像もできないことであろうが、クルマ繋がりで、一番好きだったオリガミの馥郁としたミルクティーを味わう時間を友人と共有できて本当に良かったと思う。
この友達はいまだに付き合いのある親友の一人である。
友人はその後、言葉通りアメ車のシボレーベガとオールズモビルのスターファイヤーを乗り継ぎ、途中マークⅡやローレルをはさみながら外車党になっていった。ベンツのEクラスなどにも乗っていたが、現在はBMWの1シリーズ、奥さんがホンダのヴェゼルに乗っている。
私のようにBMWの古いマニュアルのクーペに2台も乗って、60歳を過ぎてもいまだに6速マニュアルの車に乗っているような車好きとはどこかで進む道が左右に分かれたのだと思う。
注:東京ヒルトンホテルは1963年6月に開業し、1983年末に閉館、その後キャピトル東急ホテルになり、更に建て替えをした現在は、ザ・キャピトルホテル東急になっている。
まだ、駐車違反が厳しい時代でもなかったので、山王日枝神社のある坂道に車を停めて表玄関から入るのが常であった。