序章
明治二十一年(西暦一八八八年)十月
大御門は鍋に手を伸ばしながら、あっさりと万条の頼みに応えてくれた。
「それなら、元老院の長与専斎先生を紹介してやるから、相談すればいい」
「え、長与先生……」
万条はぎょっとした。長与は元東京医学校の校長で、今は衛生局長と元老院議官を務めていた。大坂で緒方洪庵の適塾を出た後、幕末に長崎で学び、明治四年には岩倉使節団の一員として欧米を視察したこともあった。いわば日本の医学界の元締めのような人物だったが、万条が複雑な表情をしていると、大御門は怪訝な顔で訊いてきた。
「どうした? 何か問題でもあるのか」
「いや、何でもない……」
「今晩のうちに推薦状を書いてやるから、持って行くといい」
大御門は早々に話を切り上げ、また美味そうに肉を頰張った。
「ところで、少し前の話だが、同志社の新島襄先生が、井上馨大臣の家で倒れられたのを聞いたか?」
肉を飲み込んだ後、大御門が思い出したように言った。万条は慌てて訊き返した。
「本当か」
井上馨は元長州藩士で、幕末の頃、伊藤博文らとともにイギリスに密航したことがあった。元の名前は井上聞多といい、今は黒田清隆内閣の農商務大臣を務め、政府の重鎮の一人となっていた。