【前回の記事を読む】ドンがなぜ多くの人に愛されるのか。“ドン研究”にいそしむ著者の見解は…

『モーリス・べジャールの自伝』(自伝1)を読む

“ドン漬け”の日々、ベジャールの『自伝1』を読み進めている。ドンがベジャールに会いにベルギーの首都ブリュッセルへ行き、スタジオのオフィスでベジャールに会うところまできた。わずか16歳のドンが、自ら運命を切り開く人生を賭けた大胆な行動。私は、興奮し鼓動が高まり、ドキドキしながら読み進める。何度読んでも感動する。

ベジャールは80歳で亡くなったが、あれだけ精力的に仕事をし続けたのだから、80歳は大往生といえるだろう。ベジャールのような鬼才と私とは比較できないにしても、私も80歳まであと3年。相当神妙な気分になる。

人生100年時代といわれる。私自身は病気一つしたことがないほど健康体で、まして一般の人々と比較しても、ヨガ、それもかなりハードなアシュタンガ・マイソール・プライマリーシリーズをしているし、体は柔軟でよく動く。だから、あと数年で人生が終わるとは、仮定としても考えたことがない。

現代は、病死や老死以外に待ち受ける死は多いし、事故の種類も多い。コロナに罹患すると重症化する危険性が高いのは高齢者だ。さらに地球温暖化で様々な災害が年中襲う。私の長年の友人たちは死んでいった人が少なくない。折りに触れてちょっと話したいと思い、そうしてきた友人たちがもういない。

ドンは45歳でこの世を去った。私のかけがえのない幻の恋人だから、私が死んだときはドンのそばに行く。そう考えるとなんとなく心が安らぐ。しかし、SNSにはドンのファンが大勢いて、皆、「死んだらドンのところに行きたい」と言っている。当然、ドンは私一人のものではないのだ。

あと3年は思いきり人生を楽しみながら、勉強も続けよう。朝の時間を無駄にしないように。フランス語ができればどんなによかったか。フランスに行って、ドン関連の本などを全部集めることもできるし、取材もできる。YouTubeに出ているドンのいくつかのインタビューも理解できるようになるだろう。記憶力の低下に悩んでいる今となっては、フランス語の勉強はもはや無理そうだ。

ベジャールは1963年アルゼンチンのブエノスアイレスでドンに初めて会った。数ヶ月後、ベルギーのブリュッセルの稽古場にドンが訪ねてきたときから、どうやら一目惚れのような状態でドンを見つめたようだ。私はそう思う。

ドンはムードラ(バレエ団の稽古場)でのレッスンの参加を許可された。バレエ団への入団は少しあとになったが、そのときベジャールはドンの素質を見抜いたのだ。この場面の描写は何度読んでも涙が出るほど感動的だ。ドンを見つめているベジャール。見つめられているドンは、緊張でうつむいている。ここから二人の間には、選ばれた者同士の、素晴らしい芸術的共同作業の年月が展開するのだ。

ベジャールは言う。

「愛したのは父とドンの二人だけだ」

と。ドンも言う。

「愛がすべてだ。愛がなければどうやって生きていけばよいのかわからない」。