この言葉は、いつ発せられたのだろうか。ベジャールがドンをないがしろにし始めた頃だろうか。お互いの愛情の深さと尊敬の念は、おそらく二人の全人格を賭けたものだったのだろうが、ドンの一途な誠実さに対し、ベジャールの身勝手さがのちにドンを苦しめることになる。しかし、ベジャールがドンをないがしろにし始めたあとも、代替不能な天才同士の交流は、ドンの死まで続いた。
ベジャールは言う。
「ドンにしかできない」
と。
ドンは天性の俳優で、演技力、台詞、コミカルさは、ベジャール振り付けの舞台に必要不可欠な演劇的要素で、ドンしか演じることができなかった。私は、一目でいいからドンに会いたかった。
今はそう思うが、仕事に忙しかったといういい訳はできるが、店を経営しはじめたときから、文化や芸術などは意識的に避けていたのかもしれない。お金が一番大事だったのではないだろうか。今これほど真剣になるのも、ビジネスから手を引こう、残りの人生は文学や芸術に浸って暮らそう、そのためにお金も使おう、と決めたからかもしれない。
だが、ベジャールは
「決して振りかえってはいけない、ひたすら前へ向いて進まなければだめだ」
と言っている。
この言葉は一般論ではなく、自分のバレエ団をともかく存続させなければという決意なのだろう。ドン亡き後、
「ベジャールバレエはディズニーランドになってしまった」
とか、
「面白くなくなった」
という人もいる。
ベジャールは70歳ぐらいにして、ドンの偉大さを再認識したようだ。遅すぎる。天国でドンとベジャールは再会して、幸せに暮らしているだろうか。もちろんそのはずでもあるが、ドンの方がずっと高貴な場所にいるはずだ。神に近い場所に。
もし、私が『ボレロ』を踊れるようになったら、インスタグラムにも投稿するし、noteにも掲載することができる。そして私はこれから『28年後の恋』というタイトルで、ドンの物語を書こうとしている。
コロナ危機が長引き、収束の見通しが全く立たなくなり、私の今後のプランも根底から変更をしなければならない可能性が出てきた。でも、今は時間が自由だから、好きなことだけに時間を費やすことができる。この期間に“ドン研究”という種を蒔き、育てていくことができる。あと1ヶ月かけて、『ボレロ』を形にしてみたい。