第一章 ジョルジュ・ドンと出会う前の日々
コロナの時間を生きる
2020年春から夏へ。
「世界経済が崖から崩れ落ちたようだ」―国際労働機関(ILO)のガイ・ライダー事務局長の言葉が、2020年8月11日の朝日新聞に載った。新型コロナウイルス感染症のパンデミック時代を表す、実に簡潔な言葉だ。
日本では、2020年1月16日、中国の武漢からの帰国者で30 代男性がコロナに感染したと報告された。国内初の感染者である。2月5日、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で、10人の感染が確認された。
4月16日、全国に緊急事態宣言が発令され、外出禁止、テレワーク、飲食店は夜間営業禁止、酒類の販売は7時まで、8時閉店などが要請された。私の地元の商店街では休業する店も多く、通りから人波が消え、人々は不要不急の外出を控え、企業のテレワーク(リモートワーク)が増えた。2月27日、安倍晋三総理は、小中高校などに3月2日から春休みまで全国一斉の休校を要請した。大学でも多くの授業がリモート授業となった。
こうしてパンデミックは始まったが、コロナ危機はどうやら簡単に収束しそうにない。パンデミックで一番大事なことは“死者を出さないこと”“貧しい人を救済すること”の二つだろう。中国の作家、方方さんは、『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』(河出書房新社、2020年)で、「ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ」と、のちに述べている。
あれほど混み合い忙しかった私の経営する中華居酒屋Mでも、ランチタイムの売上げが、徐々に減少している。昼の売上げを1とすると、夜は2倍が標準だったが、コロナ自粛後、夜も1か、もしくはさらに悪い。これは、私の店だけではなく、近隣飲食店の大部分が進退の判断を迫られ、細々とした営業さえ困難な状態に直面している。
どう打破するか? 私は、これまでずっと日本を脱出して外国で生活することを夢見てきたので、店の仕事には本気で取り組まず、中途半端なままできた。それは今さら後悔しても取り返しはつかない。76歳の私にとって、もう年齢的にギリギリだからと、海外渡航の具体的な準備を始めたまさにその時、突然パンデミックが猛威を振るい始めた。私の残された人生の計画をどう立てるべきか、真剣に考える必要に迫られている。
外国での生活、自分の残された未来にずっと希望を持ってきたが、今では行き先はなくなった。もし、曲がりなりにもコロナ禍が収束を迎えたとしても、私の体力と気力がまだ健在かどうか、はなはだ疑問だ。
コロナ危機にどう対応するか不安な時間を過ごしながら、例年にない暑さの中、すっかり体調を崩してしまい、数日部屋でぶらぶらして過ごした。源泉票の準備ができず、東京都住宅供給公社(JKK)の店舗家賃等が支払えないので、3ヶ月から6ヶ月支払いを猶予してもらう文書の整理をしながら、新業態への転換の決意をし、そして日本脱出の準備を進めなければならない。店の売上げ激減、それでもくる請求書。当社のような零細商店では、私以外にこれらの問題を考えてくれる人材はいない。