【前回の記事を読む】70代半ばの女性、「ドン」のおかげで色づいたコロナ禍の日々

28年後の恋

2020年冬。“28年後の恋”というタイトルを思い付いた。私のこれから書く作品のタイトルである。

ドンがなぜあれだけ多くの人々を釘付けにするのかという問いを、前述のダンスマガジン臨時増刊号『永遠のジョルジュ・ドン』などで、皆が解き明かそうとしている。

練習の量や技術の卓越さでは分析できない、という。

踊ろうという内面からの放出、激しい希求。その精神の源は、ベジャールへの愛か。16歳でベジャールを訪ねる決心をしたときから、ずっとベジャールに自分の人生を捧げ、生涯変わることがなかった、という。

ドンのあの澄みきった視線、それはベジャールに捧げられているというのだ。ドンとベジャールを読めば読むほど、二人の関係の奇跡に驚嘆する。

私の想像では、ベジャールは教養豊かな人物であるから、二人の性愛はドンを陶然とさせたのだろう。ドンはその愛に応えるために、人生のすべてをベジャールに捧げた。その魂の欲求がドンの肉体のあの美まで昇華されているという。

しかし、ドンのダンスをそれのみで語るのはドンに気の毒だ。ベジャールのダンスををはるかに超えたところにドンはいて、ドンのダンスがある。美しすぎる肉体と美しすぎるダンス。

コロナ禍がなければ、あるいはもっと世界全体が軽傷だったら、もしかしたらドンの『ボレロ』をYouTubeで見ることはなかったかもしれない。コロナでどこへも出られず、ひきこもりの暮らしを余儀なくされて以来、変化した私の日常の中で、“ドンという人生の宝物”を発見したのだ。

コロナ禍は、世界中の経済の悪化を余儀なくし、多くの人々の暮らしを破壊した。世界は難民であふれ、大小の独裁国家による人々への圧迫も激化した。楽しいこと、未来につながる希望、庶民の暮らしが根こそぎ奪われていく。そんな中で“ドンという人生の宝物”が私に届けられた。それは質、量ともに予想をはるかに超える幸せだ。