第一章

彦坂は法律実務家として認知症高齢者が激増していく時代の入り口に立っていた。認知症や知的障害、精神障害、あるいは高次脳機能障害であるがために、すでに様々な困難に直面している者の財産や権利を守る「最後の手段」として、家庭裁判所からの後見人就任要請が増加していた。

和子と彦坂が結んだ後見契約ではない、家庭裁判所が後見人を選任する法定後見制度といわれているものは、もともとは最後の手段として設計されたものではないのだが、判断能力の著しく低下した者の財産や権利を守るためのレスキュー的機能を備えていることで、人びとは破滅的状況に陥る間際にこの制度に接するのである。

したがって彦坂に要請される後見事案のどれもがかなり重たいミッションであったことにちがいはない。しかし彦坂は一件も拒絶することなくこれを受任した。

彦坂はバブル崩壊後の厳しい不況を経験した自由業であった。そのためいい収入になるかならないかではなく、来た仕事はそれが不法なものでないかぎり選別することなくすべて受任するという、自由業として生き残るための彦坂なりの仕事の哲学をもっていた。

これでは「不自由業」ではないかと思われるが、仕事を選ぶことのできる自由業者とは何かの才能をもつ特別な人間である。凡人の彦坂に選択権はない。彦坂は独り考える。『すじの悪い、いつお金になるのかわからない仕事であっても、誠実にやっているうちにいつか良いことが巡ってくる』と。

彦坂が和子と後見契約後、六ヶ月ほどして受任した二つ目の後見事案はとなりの区からの依頼であった。なぜ彦坂に依頼が来たのかというと、このころ、後見業務という面倒な仕事に関心をもつ法律実務家は東京でもごく僅かしかいなかったからである。