第一章

そして運命の午前十一時二分が、あのあまりに巨大な光とともにやって来たのです。

わたしはピカッという紫色の閃光とドンという音とともにそのすぐあとに襲ってきた強烈な爆風によって道に倒されたのです。

わたしの周囲の家やビルの窓ガラスが瞬時に破れ、スローモーションの映像のように空から降りそそいで来るなか、すこしの時間気を失っていたように思います。またこのとき、わたしは無数の人びとが燃え盛る炎のなかで焼け死んでいく光景をかいま見たように思います。

わたしはひとりで立ち上がろうとしていました。幸運にもわたしの怪我は飛んできたガラスの破片で右足のふくらはぎをすこし切っただけでした。わたしは生きていることに感謝していました。わたしは神や仏を信じる者ではなかったのですが、なぜかわたしを守ってくれている大いなる存在に感謝を捧げていました。

ですが、弟に買ったご飯茶碗は割れていました。弟の茶碗はこの日二度割れてしまったのです。わたしは不吉なものを感じざるをえませんでした。わたしは持っていた布切れで止血し、立ち上がったのです。この時点で長崎全体がとてつもない惨禍の渦のうちに入ったことを、わたしはまだはっきりとは知りませんでした。

周囲の建物もガラスが破れ、屋根が吹き飛んではおりましたが、破壊されてはいません。路上にいた人も怪我をしたものの重症者はいませんでしたが、わたしは全身に震えが走るほどの恐怖を感じていたのです。割れた茶碗を見ても、わたしはもう一度あの食器店へ戻ることはしませんでした。わたしは荒ぶる邪悪な巨神がわたしの歩いて来た向こうで暴れ回っている恐怖を覚えていたのです。わたしはふたたび賑橋に向かって歩きはじめたのです。

わたしが生きていられたのは長崎の地形によるものでした。原子爆弾が投下されたのは浦上(うらかみ)上空でした。わたしはそこから数キロ離れた、ゆるやかな丘の陰に位置する場所を歩いていたから助かったのです。賑橋まで行けば電車が通っています。今回の爆弾の被害の全貌がわかるはずです。路上にはガラスの破片や屋根瓦などが散乱しています。歩きにくいのに難渋しましたが、午前十一時三十分には賑橋停留場に着くことができました。

彦坂一郎さん。あなたはきょうの十一時三十分にわたしに会いに来てくれましたね。ほんとうにありがとう。わたしは六十年前のきょうの午前十一時三十分、長崎の賑橋停留場に知る人もなく立っていたのです。それからきょうまで六十年も時間が経っていたのです。彦坂一郎さん、このわたしの気持ちを少しでもわかっていただければうれしいです。あの時から六十年もの月日が経ったことを。時が一巡りしたことを。

……ですが、わたしはまたあの日の賑橋に戻らなければなりません。あの日路面電車が賑橋停留場に着くことはありませんでした。わたしは線路上を陸続と歩いて来る人びとを見ました。全身にガラスの破片が刺さった人、血だらけになった人、見るも無残な姿をした人たちが歩いて来ました。