第一章

わたしの父は官吏でした。いまでいう国家公務員として国のために働いていました。その一方で、自宅では飄々とした自由人であり、趣味人でありました。父は大正デモクラシーの時代に青春を送ったためそうであったのかもしれません。その父がなぜ官吏になったかわたしにはわかりませんが、父が家族に威張り散らすようなことは一度もありませんでした。

父は文学や芸術を愛していました。『芸術は永く、人生は短い』(Arslonga, vitabrevis.)という、ラテン語の美しい響きをもった金言として日本に伝えられたことばをわたしに教えてくれたのも父でした。

父のすすめでわたしは小さいときからピアノを習うことになったのです。ピアノは大森の高台の山王にピアノを教えてくれる資産家のお宅があり、週に一度わたしはそこに通っていました。わたしの家の二階からもその家の青い屋根が見えたので、わたしは『青い屋根の家』と呼んで親しんでいたのです。

わたしの家は一軒家でしたが土地は借地であり、物に対する所有欲のない父でしたが家にはピアノがあったのです。そしていつどこで覚えたのでしょうか、父もピアノを弾くことができたのでした。

父はもともと地方の出ですが、大正九年にスペイン風邪という猛毒のインフルエンザの第三波によって、父の実家の両親と兄が亡くなってしまいます。その時東京の大学に行っていた父だけが助かり田舎の豪農であった実家の財産をすべて処分し、家を大森に建てあとは学費と自分の趣味にお金を使っていたようです。

父は自分は上手ではないといいながらも、ドビュッシーの『月の光』や様々なピアノ曲を家族のまえで弾くことがありました。わたしも少女時代クラシックの名曲を覚え弾くことになりましたが、ドビュッシーの『月の光』が一番好きな曲になりました。これが父の一番好きな曲であったからです。いまでもこの曲を聴くと父が弾き母と小さな弟とわたしがそれを聴いている家族の姿を思い出すのです。