なぜ鹿児島弁は難解なのか
光三は奄美へ行くのをしばらく我慢して、日常業務に励んでいた。業務自体は順調にこなせるものの、閉口していたのは薩摩弁だ。鹿児島の方言は、まるで異国の言葉のように聞こえる。そうこぼす光三に、県庁の部下たちは標準語で話すように努めてくれたが、外部の人とはそうはいかない。しばしば、同席の職員に通訳してもらう羽目になる。
仕事熱心な光三としては、意思疎通が不自由なのがじれったかった。官舎では管理人夫婦から薩摩弁を習い、覚えた言葉はすぐに真似てみた。宴席に臨むと、会話の糸口に覚えたての薩摩弁を持ち出してみる。
「ないで(なぜ)、薩摩の言葉はこげん難解なんか?」
光三が片ことの薩摩弁を口にすると、周りに大いに受けた。
「知事さん、はよもかごっま弁を覚えたと。きばれますなあ(頑張りますな)。かごっま弁は、わっぜ(非常に)難解じゃあどん」
「ないでか?」
「薩摩藩が機密を守るためだったという説が、あるっちょいもんど」
そこから藩が機密にしたかった実態とは何であったかに話が及ぶことが多く、光三はいろいろな知識を得られた。余所者には難解な薩摩弁が用いられたのは、藩が支配下に組み入れた奄美群島を弾圧し、黒糖を搾取して暴利をむさぼっていた奄美支配の実情を隠蔽するためでもあったという。とくに、幕府には具に知られたくなかったのであろう。
奄美の島々の植民地政策を通じた黒糖の膨大な収入こそが、薩摩藩が明治維新の大革命をリードできた原動力だったわけだ。この史実が、光三の胸に深く刻まれる。