第二章 奄美大島

光三は待望の奄美大島への視察出張を控えて、大島支庁で勤務した経験者や担当幹部を知事室に呼んでは、熱心に奄美の事情聴取に努めた。

執務机のうしろに貼ってある県内地図で、奄美群島の地理はしっかりと把握できている。群島は鹿児島県の本土と沖縄県のあいだに位置しており、大島のほか徳之島、喜界島、加計呂麻島など人の住む島が八つ浮かんでいる。今の人口は、二十万人余り。

薩摩藩は一六〇九年に琉球王国から分割して直轄領にした奄美群島で、一七〇〇年代の半ばに年貢の取り立てを米から黒糖に切り替え、当時の大阪市場で膨大な収入を得ていたと説明されている。

光三は、明治の廃藩置県のときに鹿児島県が奄美群島を大島郡として取り込んだのも、藩政時代からの黒糖の利益を手放したくなかったからだと理解していた。先代の大島支庁長に尋ねる。

「奄美には大きな収入源があったわけだ。それを活かすためにも、鹿児島県の支配から脱したかったんではないのか?」

光三の下問に前支庁長はすみやかに答えた。

「明治の初期ですが、奄美群島を鹿児島県から分離する案はあったと聞いております。大島県構想と申します」

大島県構想なるものが、かつて存在したのは知らなかった。光三は身を乗り出して、構想の内容を問う。

「詳しくは存じませんが、奄美の黒糖業を本格的に発展させる狙いからでしょうか。トカラ列島も含めて現在の大島郡を独立した県にして、交通手段などを整備しようとしたとか言われております」

内務官僚の光三は、ピンときた。大島県として独立して発展させれば、沖縄県にとっても交通や郵便の面が改善する。奄美の島々は国の南方防衛を強化する軍事的な観点からも、重要な地域になると考えられたはずだ。

「それで、その構想はどうなったんだ?」

「当時の明治政府のナンバーワンだった大久保利通公が反対されたようです。それで実現しなかったというのが定説であります」

「奄美群島の発展は、国防上も意味があったろうに。そのあたりは議論されなかったのか?」

前支庁長は、詳しい経緯は承知していないと首を振った。

光三は、奄美での勤務経験のある職員から、島民の生活状況には厳しいものがあると聞いていた。前支庁長も同じような説明をしたうえで、言い加えた。

「奄美に限らず県下の離島は、どこもかしこも苦しい生活を強いられていると存じます」

「そうかもしれんが、近代ニッポンへの途を拓く原動力になった奄美だ。いつまでも本土との格差が大きいとは切ないじゃないか。一番の問題はなんなんだ?」

「やはり、独立予算の縛りだと思料いたします」

光三も、鹿児島県政では明治二十年から大島郡の予算を本土から切り離して、財政的には大島郡のみでやっていかせる原則が維持されてきたのは承知している。

「そんな分断財政の考えを持ち込んだ趣旨だが、そもそもなんだったのか?」

「大島郡は絶海に島々が点在しているわけですし、県庁所在地からも遠隔になります。島民の生業や人情も本土とは異なっておりますから、経済的な利害も異なります。そう考えて、いわば独立した経済圏にしたのではないかと、思料いたしますが」

光三は、それが本土の本音だったとは合点できない気がする。

大島郡には黒糖収入はあるにせよ、本土との格差を縮めるだけの独自の財源が十分にあるはずがない。財政的に分断されていては、一般島民の生活の改善や産業の振興が叶わないのは当然だろう。光三は鹿児島県知事としてなさなければならない使命が、ぼんやりと描かれ始めたような気がしてきた。

知事室の壁に飾られている歴代の県令や知事の写真を見上げる。彼らが手がけなかったり、できなかったことに取り組んでみたい。そう考えると、血が騒ぐのを覚える。