【前回の記事を読む】昭和21年以降…日本文化が「日本人の前から姿を消した」という事実

武道に注目する

だから私は、消し去られた日本文化の第一である「武道」に注目したのです。私が大学生の頃に占領軍が去って行き、やがて武道は復活して稽古が出来るようになっていました。

また、私が武道を学ぼうと思ったもう一つの理由は、中学生の頃ケンカに負けて悔しい思いをした事です。あまりケンカをするタイプではなかったのですが何かの折に同級生とぶつかり徹底的に殴られました。

暴力的なことは好まず、漫画を描くのが趣味という内向的な私にとっては大変ショックな出来事でした。皆の前で殴られたという屈辱感が、何か武道を覚えようという欲求に変わっていきました。

ですから日本文化を学び身につけるということの中ですぐに頭に浮かんだのが武道だったのです。

しかし武道と言っても実は色々あります。剣を使うことを目的とする剣道や投げ技中心の柔道、そして突きや蹴りを技とする空手、さらには弓の弓道、杖を使う杖道、薙刀の薙刀道などがあります。色々探ったのですが身長が低く手足のリーチが短い私は、柔道や空手では不利だと考えました。剣に対しては研究不足であまり意欲もなかったのです。

当時、新宿区の西大久保に住んでいた私は、合気道の本部道場が新宿の若松町にあることを知りました。合気道の創始者である植芝盛平開祖は、身長が私と同じくらい低いとも聞いていました。その植芝開祖は不思議な術を使うと言われていました。

京都の綾部の地での修行中、ある日悟りを得て地から光が発したと言いますし、満州では拳銃で撃たれた時にピストルの弾丸の軌跡が見え、弾をかわすことが出来たとも聞きました。

また戦時中、憲兵隊に合気術を教えていた頃、憲兵たちが開祖の実力を試そうと十数名で植芝先生を襲ったところ、全ての憲兵があっと言う間に投げ飛ばされたと言う逸話があります。自分より大きな相撲取りを投げ飛ばしたなど色々な話が伝わっています。

今ほど映像文化が発展していなかった当時1980年ごろは、合気道の技は本の写真レベルでしか判断出来ませんでした。投げ技や関節技が中心らしいとは推察しましたが、なにより自宅から歩いて30分前後のところに合気道の本部道場があったことに「御縁」を感じました。そして私は、これを学ぼうと思ったのです。