【前回の記事を読む】敵の小型機からの集中砲火…難を逃れたのは「やんちゃな少年」

序章

高校は当時は県下の進学校として名をなしている下総高校に入学した。英語の授業はエリザベス女王の戴冠式の様子が英語の教科書であった。ウエストミンスター寺院でのカンタベリー大司教による戴冠の口授に感銘を受けた雄太は、この文言を何度も暗誦した。それから、こんなこともあったなあ! この頃は終戦から日本経済も復興逞しく成長しつつあった。娯楽と言えば、映画が全盛期を迎えつつあった。日本映画では任侠映画に人気があった。その影響からか雄太は空威張りする輩は大嫌いであった。

何せ、雄太は中肉中背の身体にもかかわらず、喧嘩と相撲には負けたためしがない。社会人となったある日、オリンピックにレスリング選手として出場した先輩を投げ飛ばして驚かせた。ビックリポンだ。

同じ汽車を利用して通学する、高校の一年後輩の宝田という生徒が、鉄道沿線の番長として君臨していた。度重なる威張り散らす宝田に我慢できず「お前の空威張りにはうんざりだ。勝負をしようではないか」と汽車の連結部に呼び出した。

通学時間帯であるが、雄太は宝田に「高校への通学路途中の天神山で勝負だ」と告げると、宝田は「望むところだ。後で吠え面かくなよ」と自信たっぷりにうそぶいた。

駅から十五分ほど坂道を歩くと、高さ百メートルの天神山の頂上に出られた。頂上には五十メートル四方の平面が拡がっている場所があった。休憩場所としても利用できるように何脚かのベンチも設けられていて、赤茶色に染まった杉木立が何本か繁っていた。お互い鞄を木の根元に投げ出し構えた。素手での決闘である。

宝田は雄太より大柄で小太りの男である。決闘は直ぐ決着がついた。裂ぱくの気合での雄太の渾身の足蹴りが炸裂し、宝田の腹に食い込んだ。たちまち宝田は腹を押さえ、顔は苦痛にゆがんだ。脂汗を垂らしている。間もなく宝田は真っ青な顔で下腹を押さえながら「参った! 参った!」と叫び、白旗をあげた。

雄太が「大丈夫か、歩けるか」ときくと宝田は「ああどうにか、少し休んでから学校へ行く」との返事があったのを見届けて、雄太は学校へ意気揚々として凱旋した。以後、宝田は我がもの顔で威張ることはなくなった。

何せこの頃の雄太のバックには、宮川がいたのだから。彼は後に登場する。若き日の雄太は怖い者知らずだった。

色々なエピソードがあったにせよ、雄太は、両親からは愛情をたっぷり注がれ、成長していった。巷間言われる「馬鹿な子供ほど可愛いものはない」のように、母親は雄太が可愛くて仕方なかったに違いない。