苛立ち
初めて警察に駆け込んだとき、「キミ、まだ若いんだからこんなことやらずに、もっと普通に生きたほうがいい」応対した警察官に言われた。
幸い検挙はされず、厳重注意で済んだ。ちょうど、父さんみたいな年齢の警察官が、滔々と話して聞かせてくれた。
「まず、自分の呼び方から変えてごらん」
初めは僕と言うのがこそばゆかった。
当時、僕には普通がわからなかった。母さんみたいに朝から晩まで足を棒にして歩き回り、ガス器具の注文をもらってくるセールスは、普通なのだろうか。
まず、アルバイトニュースを買った。でも、僕には住所も携帯電話もない。そのうえ、小銭しか持っていなかったので、住み込みの仕事しかできない。いくつか面接を受けにいった。中卒で親もいない僕に、世間は冷たい。やっと小さなネジ工場の、見習いに採用された。
四畳半だけど部屋ももらえて、うれしかった。仕事は油まみれになるが、一つひとつネジができていく工程の一部を僕が担っているという満足感を得ることができた。給料は、部屋代と光熱費、食事代を引かれて手取りで四万三千円、安いのか高いのかわからなかったが、なんとかやっていけた。
ただ直属の班長が、なにかにつけて僕の粗探しをすることだけが不快だった。この班長の男は、工場で作業をする六人のなかでいちばん年長で、作業員に対しては分け隔てなく嫌味なやつだ。その日の自分の気分次第で、下の者に当たり散らした。
特に帰りがたまたま一緒になって、飲みにいこうという誘いを断ろうものなら、ひと悶着あるそうだ。そして、お酒を飲むとますます嫌味に磨きがかかり、さんざん悪態をつかれたあげく、お会計は一円単位まで割り勘なのだと、年上の作業員が言っていた。僕は未成年なので、当然飲みに誘われたこともなく、その点だけは助かった。
班長は、五十代半ばで瘦せていたが、背は僕より低く、頭髪はかなりさびしいものがあった。班長は、四十代の経理のおばさんと、六十を過ぎたぐらいの社長には、人が変わったように低姿勢になる。相手を見て態度を変えるのも不愉快だった。それでも今までだって、よいことより不快なことのほうが多かったと思い直し、我慢しようと思った。
従業員八人の小さな工場、いつまで経っても、僕はいちばん下っ端だった。