毒母
清美は中学生の時、日々の鬱屈する思いを吐き出すように日記を付け始めたが、母親が勝手に見たようで、「お前、こんなことを思っているようだが、それは心がけの良くないことじゃないか」と言われてから、本当にいやらしい親だという思いを強くして、日記も付けることを止めてしまった。
一緒に暮らしている2人の兄達も、中学生になると道子の口撃からはやや解放されていたし、時々掃除を手伝わされる程度で、清美のように日々の家事を負担させられるということもなかったので、兄達が、清美の辛さや悲しみに思い至ることはまるでなかった。事実、清美に作ってもらったご飯を当然と思って食べているのである。
母親の道子も兄達が弁当を必要とする中学生になると、彼らのために作るようになったが、清美の分だけは自分で何とかしろと言って作らないので、清美一人だけは登校途中にサンドイッチなどを買って間に合わせていた。このように母親の道子は明らかな性差別をしていたのだ。
一人清美だけが過度な家事負担を強いられ、兄達と比べて不当な扱いを受け続けている。また、学友と教室以外で付き合うことを禁じられている清美は、その苦しみを打ち明けたり、相談したりできるほどの親しい友人もいなかったので、心理的にも絶対的孤独の中に押し込められているのだ。母親の道子はもちろん、父親も兄達も無関心という加担の仕方で、虐待という意識すらなく、この家では、清美に対する虐待に次ぐ虐待が日々休むことなく行われていた。
天敵
母・道子には5歳下の妹が一人いる。早苗という名で、清美達は「サナちゃん」と呼んでいたが、道子以外の家族はこのサナちゃんを嫌っていた。とにかく厚かましく、恩知らずなのだ。
道子の母チサが50代の若さで他界したので、清美が小学生頃までは、1月になると藪入りと称して、サナちゃんは子供2人を連れ、親代わりを自認している道子の所へやって来た。もちろん、手ぶらでやってきて、親子3人が上げ膳据え膳で3日間ほど過ごすのだ。
また、自宅の改修をするからと、姑を含めた5人で清美の家に家財道具一式と共になだれ込んで来たので、清美達は彼らと2ヶ月共に暮らす羽目になった。良く父も承諾したものだと、今でも清美は思う。栄介のまったりした性格にも依るが、道子に逆らうと色々面倒だからだろうと推量するのだった。