天敵
ところが一方、道子は清美がご近所の人や知人から褒められるのを極端に嫌がった。清美が他人の褒め言葉で有頂天になれば、自分の用に使いにくくなると警戒してのことだ。実のところ、清美が小さい頃から家事を上手にこなすのを見て褒める人は結構いる。
清美は料理の腕前もかなりのもので、高校生にもなるとお節料理の一通りを作ることが出来た。道子に教えてもらったということではなく、手近な料理本を見て習得していったのだ。正月も近づくと、道子が食材を買いに走り、清美がその食材を調理する、そんな役割分担ができ上がっていた。
道子は清美に作らせたお節料理を小さなお重に詰めて、近所の一人暮らしをしているお婆さんのところに持って行く。そんな時は、「娘の清美にも手伝わせて作りましたのよ」という一言を添えるのを忘れない。それは、娘の躾は他の女達よりも上手にやっているのだという自負の表れなのである。
もちろん、お婆さんは喜んでくれる。道子は、この種の善行が大好きだ。喜ばれ、褒められ、本当に気持ちが良くなるのだ。ただし、この善行は、清美という実働部隊がいないと成り立たないものではあるが。
このようにして、清美の家事ぶりを垣間見た人々は高校生の清美に驚嘆した。しかし、そのような場合、道子は必ず清美にこう言うのだった。
「人様は何でも聞き心地の良いことを仰って下さるものだ。それを真に受けて喜んでいるようでは馬鹿というものだよ。でもね、私は親だから本当のことを言うのだよ。親の言うことを聞いていれば間違いないのだよ。昔から言うだろう、“親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない”って」
しかし、清美はこの言葉を聞くと可笑しくなるのだった。なぜなら、母親の道子は人から褒められると、直ぐそれを真に受けて有頂天になる人間だったからである。
佐藤家で療養生活を送っていた早苗は、3週間の滞在後、自分の家に帰っていった。その後、世話になったことについての礼は一切無かった。しかも、その後、道子が体調を崩して寝付いた時に、夫の栄介が、日当を払うから家事を手伝ってくれないかと頼んだ時は、「そんなこと、私、できないわ」の一言で一蹴してしまった。
道子と早苗の関係はいつもこんな具合で、子供達に対しては暴君の道子も早苗には食われっぱなしであった。その結果、娘の清美の負担も増えるといった具合なのだ。
道子は姉として、妹・早苗の要求を無碍に出来ないので、飲まざるを得ないという意識を持っているが、早苗の方は、姉は親代わりなのだから、妹のために尽力してくれるのが当たり前だという意識がある。その一方で自分に妹としての義務があろうなどとは露ほども考えないのである。姉・道子は一種の道徳観念に縛られているが、妹・早苗には自分を縛るものはないのであるから、この勝負は歴然としている。
もちろん、こういう利己的な早苗であるから、婚家との折り合いは悪く、彼女の夫君山下氏からは「山下の嫌われ者じゃ」と非難されているのは当然のことであろう。