【前回の記事を読む】心の中に日々生まれ出る「愛」を大切に育むことは、「無我の瞑想」と同様の効果を生み、瞑想者を「覚醒」へと導く

Chapter1 瞑想で広がる可能性

瞑想の勧め

古来より宗教や哲学などのテーマは、「人はどのように生きるべきか」でありました。その前提になっているのは、人生は苦しいものだという考え方です。そして、宗教や哲学は、それぞれの立場から、その苦しみから解放される方法を提示してきたのです。

人間が物質界に生を受けた時から始まる、身の安全に対する不安、つまり、物理的な恐怖や、集団内における疎外感などへの不安、つまり、心理的恐怖などが、不必要な苦しみを私達の上に引き起こしています。

身を守るために必要以上の物質や金銭を確保しようとして、新たな闘争を生みます。そして、人々に大切にされる存在になろうとあくせく知識をかき集めたり、集団内での自分の地位を確固たるものにしようとしたり、そのための闘争も厭(いと)いません。

こういった一連の物質界にまつわる恐怖が不必要な多くの苦悩を生み出しているのです。これらは皆、物質的肉体を持つが故の苦しみです。ご多分に漏れず、私もなぜ辛い人生を生きなければならないのだろうかと疑問に思いながら十代を過ごした一人です。 

この世の多くの苦しみは人間関係から生まれると言われることもありますが、その人間関係上の苦悩の元になっている根源的な原因は、やはり餓えなどの肉体的生命についての危機感であり、肉体によって時空を拘束されることから来る不自由さであると思います。

肉体的な危機感と拘束がなければ、嫌な人との交わりを強制されることもありませんし、自由に気の合う仲間を見つけ出すことも容易なのですが、肉体を持っているが故にそれが叶わないことが多いのです。

しかし、私達の心が幸せな充足感で満たされていたらどうでしょうか? 闘争や葛藤が減り、かなり生き易くなるのではないでしょうか。現実の多くの人々は傷付き易く、傷付くことを恐れて汲々(きゅうきゅう)としています。

しかし、もし、人々の心にもう少し余裕があれば、人間関係ももっとおおらかな柔和なものに変わるのではないでしょうか? その心の余裕を得る方法の最高級のものが『瞑想』なのだと私は申し上げたいです。