麻布での成績は長兄献が断然よかった。実力考査ではトップテンに常に入っていたので東大現役合格候補であった。兄弟三人の通信簿が同時期に父の目に入る。悪いと注意される。筆者は高校に入ってから、成績が上がってきた。

クラスではベストテン以内、学年ではベスト四十以内であり、運が良ければ東大ストレート合格レベルであった。しかし残念ながら献、慶喜と共に一浪している。

敗戦で停電が多かった。家では本が読めない。幸い東急武蔵小山駅には終電まで電気が来ていた。家の電灯が消えると駅に行く。終電まで駅で勉強をした。参考書が買えないので、父の弟子K医師が使用した、旧制高校の教科書を使用した。

末綱荒又の数学、山崎貞一の新自修英文法、英文解釈、解析一、二、国文解釈、化学読本、などが懐かしい。文語体で書かれたものも多く、ひとりでに古文の成績も向上してきた。

買えない教科書を友達から借り、新聞ちらしの裏に筆記した。筆記することによって後の学期の授業で行われる内容を事前に知ることが出来、大いに役立った。自信を与えてくれた。のちに開発途上国との仕事をしたが、敗戦後の貧困貧乏生活での経験により、彼らに適したアドバイスを与えることが出来た。困難に対して知恵で解決するスベを教えた。

給料がもらえるようになって、当時の本を買い求め読んでみた。我ながら中高時代によく熟読学習していたことが分かった。