第一章 知事就任

昭和六年、満州事変が勃発するなど、国際情勢のキナ臭さが増してきた年の暮が近づいていた。

日豊本線が宮崎から鹿児島に連なる霧島の山間部を喘ぎながら、ゆっくりと進んでいく。しばらくして長いトンネルを抜けると、左手に鹿児島湾のきらめく海面が現れてきた。地元では、錦江湾とも呼ばれているという。

薩摩藩の初代藩主、島津家久が詠んだ「浪のおりかくる錦は幾山の梢にさらす花の色かな」の歌に由来する錦江湾。波静かな湾の対岸には、活火山の桜島が緑の裾野を雄大に広げている。山頂は今日もたぶん噴煙を上げているのだろうが、空をおおう雲に隠れていて、車窓からは見えない。

列車はまもなく鹿児島市内に進入していく。京都からの長い鉄路が、ようやく終着駅に近づいてきた。

小島光三は固くなった腰をほぐしながら、隣で窓ガラスに額をつけるようにして雲のかかった桜島を見つめている妻の様子を窺う。横顔に長旅の疲れがうっすらと滲んでいる。

「美恵子、疲れただろう。もうちょっとで着くぞ。長旅だったな、やっぱり」

「私は大丈夫よ」

口元に笑みを浮かべてうなずく妻から車窓に視線を移した光三には、錦江湾の青い海原の先に、奄美大島の島影がかすんで見えたような気がした。まさか。あれは、湾内の小島だろう。奄美群島の島々は、ここから南に四百キロも離れた東シナ海に浮かんでいるのに。

苦笑した光三は、下車の準備を始めた乗客たちを目の端に捉えながら、今回の人事発令を受けてからの日々を振り返った。