【前回の記事を読む】61歳、看護師の女性。彼女を戸惑わせたメールの内容は…
胸騒ぎ
最初の結婚は、2年足らずで終わった。私は小さな府営住宅に住んでいる両親の元に出戻りした。別れた時、私は妊娠しており、シングルマザーで娘を産んだ。
父は脳梗塞で自宅療養中、母には父の介護と私の娘の世話をしてもらっていたので、働き手は私一人だけだった。
必死になって働いた。35歳の時に病気になった。生活費の面倒を見てくれるということで2回目の夫(東野)と内縁関係のような付き合いを始めた。入籍はしなかった。
娘が東野に馴染めず、私は自宅と東野の家を往き来する二重生活をしていた。東野は私より23歳年上で離婚歴があった。飲食店を3軒経営する会社の社長ということもあり羽振りは良かったが、私以外にも付き合っている女性は何人もいた。
私は両親と娘の生活費を工面する必要があったので、女性関係は見て見ぬふりをしていた。生活の面倒を見るといっても、ただお金を貰うだけでは愛人関係みたいで自分のプライドが許さなかった。
また、東野は計算高い男であったため自分の経営する飲食店で私を働かせることで店が繁盛すると考えていた。水商売ずれしていない素人がお客には新鮮味があるというのが理由だった。私は昼間訪問看護師として働き、夜は東野の経営する飲食店で働いた。
東野とは女性関係のことで何度も別れてはヨリを戻し、かれこれ20数年が過ぎた。
もう一切関わるのは止めようと思い、今の病院に転職したのをきっかけに神戸に転居し、携帯番号も変えた。
今の病院に来て1年目の春、突然東野から病院に電話がかかってきた。
「やっと見つけた。ワシは癌であと1年ぐらいしか持たないから最後は一緒に暮らして欲しい」
そんな甘い言葉に引っかかり、転居した神戸の自宅を処分し東野の元へ行き、言われるがまま入籍もしてしまった。この時はバツ2になるとは予想もしていなかった。
東野は余命1年と言いながら、食欲もあり、とても癌末期の患者には見えなかった。確かに数年前に比べ痩せていたが、生きる意欲は若い時と変わらない、いや若い時以上に精力的で、何にでも興味を持った。残された時間を全て自分の思いのままにしたいという執念のように見えた。
80歳を過ぎても女性に対する執着心は強く、性欲もあった。しかし、60歳を目前にした私には東野の要求に応えることは出来なかった。
「ワシはもうすぐ死ぬ」と言いながら、性欲を満たすため数人の女性と関係を持ちながら、私には病院の付き添いや家政婦のようなことをさせていた。
東野の病状は良くなかったが、病気と寿命は違うものだと多くの患者を見て知っていた私は家政婦であろうが、ヘルパーであろうがそんなことはどうでもよかった。ただ、病人を放っておくことは出来なかった。
入籍して1年目に東野は入退院の頻度が増えた。そろそろお迎えが来るのかな、と覚悟をしていたが、入院の度に知らない女性が病室に面会にやって来る。金遣いも徐々に金額が大きくなってきていた。
「ワシはもうすぐ死ぬんや。ワシの金や、何に使おうが勝手やろ、そんなに嫌なら別れてやる」
と啖呵を切られたので、すんなり離婚に応じ、バツ2になってしまった。
「死ぬ死ぬ詐欺」に遭ったようなものだ。
その後、東野は新しい女性と楽しく過ごしているということを共通の知人から聞いた。
離婚して1年後に東野は亡くなった。
8か月前のことだ。