その時真上で稲妻が鋭い刃を一閃した。同時に旋風が襲い船は大きく揺れる。船首が抑えつけられ船尾が高く波の上に浮き上がる。船は荒波に翻弄されながら北東に流され伊根の鷲岬がみるみる遠ざかっていく。
そして、強風をまともに受けた左舷船尾の側板が嫌な音とともに裂け上半分が海に放り出された。側板に鉄鎖でつながれていた馬もその前半身が船外に投げ出され後ろ脚で激しくもがいている。
すぐそばで繰り広げられている光景を安羅子は狂おしく凝視していたが、体に力なく横たわったままで両肘を踏ん張り肩をもたげるのがやっとの様子であった。男大迹も事態に気づき駆けつけるが船の揺れで思うように近づけず、馬が海に引き込まれるのを目の当たりにしても、その場に呆然と屈みこむしかなかった。安羅子も肘をくずし両手で顔を覆いうずくまった。
その時である、男大迹は吹き荒れていた風が幾分和らいだように感じた。
「持衰をすぐに海に放り投げろ。海の神を鎮めろ!」
と、船尾で百魚が何度も叫んでいるが、すぐに持ち場を離れられる者はいない。
「待て、今少し待て!」
と、男大迹は大声をかけ、百魚に慌てて近寄ると両手で肩を抑え、
「少し待て、西の空を見てみろ。微かだが陽が射し波風も少し凪いできている」
と告げた。確かに徐々に風は収まってきており、しばらくすると先ほどまでの嵐が嘘のように天候が回復してきた。秋も深まる季節の変わり目には時として起きる現象のようだ。すぐに船の損害を確かめると、雨を伴わず短時間で収まったためか積み荷の損傷は避けられたが、左舷の側板と帆の半分がひきちぎられていた。
そして馬一頭。安羅子は疲れた意識の中で、〈馬が吾の身代わりになり神を鎮めてくれた〉と憐れみ身悶えていた。
一方、男大迹は自分が久美浜を出航後に気が緩んで安羅子に声をかけたことで、『持衰』の務めを妨げ神の怒りを買ったに違いないと、心の奥底で激しく自分を責めた。