「パパ、また来てね」

家を出るときに発した輝の言葉に愕然とした。お笑いのネタじゃあるまいし冗談にもならないと、健気な輝の気持ちを汲み取るよりも怪訝(かいが)したのは保育園のころだった。

「俺に餓えてんのか?」

そう呟いて、玄関口に立つ輝の顔を覗き込むと、恥ずかしいのか恐いのか、なんともいえない表情をしてユリの尻に隠れた。父親としての慈愛がないわけじゃないが、それをどう表したらいいのかわからない。私は父親を知らない。それをユリに話すと、「都合のいい言いわけね」と、哀れむような返事しか返ってこなかった。

乳臭い小さな輝の体を抱きながら、ミルクのあとのゲップを待っていた。輝の存在は今も変わらず心の中では大きいが、空回りの日々では私の目には写っていなかったように思う。

小学校に入っても、家で燻っている私に対して懸命に(なつ)こうとする仕草が嬉しい反面、いかにもわざとらしく煩わしくさえ思えてならなかった。次第に輝は無口になり、私に対して心を開こうとしなくなったのは当然のことだった。

体裁だけの事務所を閉め、とうとう転がり込む女のところもなくなって、見もしないテレビの前で酒を飲む日常を横目に、輝は口も利かず自分の部屋に閉じこもっていた。

一瞥した目が気に入らぬと、部屋から引きずり出して小突いている鬼畜な父親を輝は決して忘れていないだろう。償いきれていないという未練は残るが、それも私の一方的な思い込みでしかないのか―。ユリに男ができたから憎んで別れる、そう単純に思えれば悩むことはない。

だが、ユリの私への愛情は私の価値そのもの。私自身に値打ちがなくなってしまったということなのだが、かつてのように自暴自棄になり息子までも犠牲にして失うことは、値打ち以前の人として終わることになる。輝を私の少年期に照らし合わせてみると、自ら育った家を出るまで叶わなかった暗澹(あんたん)な生活からの解放が、私が大阪に戻ることでなされるのなら、輝にとってもいいのではないかと思う。

私にすれば、この数年の苦悶から逃れられる答えが、浅井との数十分の話で見つかった。それには何より、経済的にユリに依存する生活から脱却して、厭世観に捕らわれた生活を変えること。それがユリにも私にも、当然輝にとっても必要だと悟った。外に目をやると、時折雲間から薄日が差して窓ガラスの雫を煌めかせている。