【前回の記事を読む】【小説】「都合のいい言いわけね」妻がそう言い放ったワケは
第二章 別離
不自然な沈黙が続いて、やっと浅井が口を開いた。
「今日の話はまだワシの一存で正さんに話をしとるだけやから、返事はここでとは言わんし、明日でも来週でもその先でもかまへんよって、じっくり考えて腹が決まったら言うて、それからワシは従弟のとこに連絡するわ」
そう言って浅井はテーブルの伝票を取った。
想いやりのある優しい言葉だが、浅井らしからぬ慎重さに私はまた何かしっくりいかない。私が黙していたのは逡巡していたのではなく、軽率に浅井の話に飛びついたと思われたくなかったからだ。
「浅井ちゃん、ちょっと待って」
私は浅井の袖に縋るようにレジに向かおうとした浅井を引き留めた。
「今日の今日、ほんまに急な話やけど俺には考える時間も余裕もあらへん。この立場でユリとの喧嘩は惨めで辛い。これ以上アイツと一緒におったら神経が削られていくだけや。もう修復がきかんことはアホでもこの写真を見たらわかる」
背に腹は代えられないと、私は恥を忍んで切羽詰まった想いをぶちまけた。
「些細なアイツの素振りでも、弾みで何をしてしまうかわからんよって、できたら今日にでもこの先の身の振りかたを決めてしまいたい。頼むわ、浅井ちゃん、従弟に今からでも連絡してくれへんか、頼む」
と、私は頭を下げて言った。浅井は再び座って懇願した私を複雑な表情で見ていた。
尾羽打ち枯らした自分の姿が恥ずかしかった。さりとて意地も見得を張る気力も失せてもう何もない。すでに切れてしまっていたと思っていた浅井との縁が偶然繋がり、今の私にとってこれが唯一の助け舟であるに違いない。否応なくこれを逃してはもう人生は終わりだと肺腑に沁みた。
浅井は私のこの気持ちを斟酌してくれているのか? 彼の胸懐を見て取るには難しい。
「昔はけっこう楽しかった。また浅井ちゃんと縁が続くとは嬉しいかぎりや」
苦し紛れか、昔の付合いを持ち出して浅井の同情を引こうとしている己の狡猾さにもいささか嫌悪感を抱かなくもないが、訴えずにはいられなかった。
やっと浅井の顔に微笑が浮かぶと、まだ自分にも運があるのだと愁眉を開く心地になった。
「そやなぁ、ワシかてそう思う。わかった、ほなら友和に電話してくるわ」
しみじみとそう言って、浅井は席を立った。
逃げるも進むも私にとって今ここで環境を変えねば何も始まらない。
浅井頼む、と彼の背中に再び頭を下げた。