【前回の記事を読む】森有正の軌跡を追って…パリで体感した「美しい青」とは

森有正――星と月と悲しみ

二宮氏の著書『私の中のシャルトル』、『小林秀雄のこと』も素晴らしいと思った。この方はフランス在住の文学者であり、フランス国立東洋言語文化研究所で、森有正と一緒に仕事をされていた方である。森有正の最期を看取られた方でもある。

「神秘は、小林秀雄にとって生涯の問題であった」の一文に唖然とさせられた。

若き日、小林秀雄に惹かれ、学びたいと思ったことも、そういうことだったかと思うと不思議な感情に襲われた。森有正自身も小林秀雄に対して、独特の想いを持たれていたことを書かれている。

身のほど知らずな私は、アマゾンから、森有正の著作集をすべて取り寄せた。著書『経験と思想』には、特に心を打つものがあった。人間(私)が人間らしく生きていくために、どういう姿勢で『経験と思想』という普遍的テーマを受け止めていくのか。この本は実に示唆に富んでいる。弟子でいらした辻邦生の「解題」も素晴らしく、この人物をよく理解され、自分の冨にされ作家活動をされたことが感じられた。

(森有正著『光と闇』を拝読した。なんて深くて謙虚な本なのだろう。そして、あのアブラハムの経験が神秘的経験であり、この物語の中に、最も深い、本当の光と闇とが交差する輝きが存在するのだから……)

最後に届いた『デカルトとパスカル』を手に取った時は、重厚な骨董品のような気がした。『砂漠に向かって』の中で、「大切なことは、デカルトのように生きることであって、デカルトを論じることではない」と書かれている。確かに優秀な頭脳の持ち主は、その人を理論で論じることはできるだろう。

しかし、ここまで自己に厳しく生きた人は、希有な人としか言いようがない。不可知な雰囲気を漂わせながら、本当に人間としてどう生きたらいいのかを、たった一人でフランスで、自分の運命を貫いた人のように思われ激しい感激に襲われた。パラパラとページをめくったにすぎないが、デカルトも又神秘主義者なのである。

「神秘主義は、人間の最内奥において、すなわち、魂の内奥において、人間の存在の根源なる神に接触し、魂の生命欲求を徹底させることによって至高の存在者なる神の生命を生きようとする一つの根源的な生命体験である。そして、その体験は、同時に、無限の歓喜であり、生命の充実である。従って、それは哲学ないし思想のような反省的なものではなく、あくまでも直接的な生活体験である」

と書かれてあり、非常に私を驚かせた。そして、森有正への旅はまだスーツケースを揃えた程度のもので、少しずつ学びたいと願っている。恋人や愛人は無理だけど、せめて「ボンジュール!」と声をかけられる程度の人間になりたいものだと、私の恋心は冷めることを知らない。